2010年10月21日木曜日

長崎再遊

随想『長崎再遊』の冒頭部で新村出翁は、博多から汽車で「我が長崎」に近づくにしたがい、胸が高鳴り、気もそぞろになっていくさまを情感たっぷりに描いた。長崎に対するひとかたならぬ思い入れと、それを紡ぐ流麗な文体は、斯学の大先達をぐっと身近に感じさせてくれる。

「博多よりあなたに進むにつれ汽車の兩がはには櫨のうすもみぢが見えて來てこの地方の特色をきはだたせた。異郷人の眼には、この前、二度ながら夏のはじめにこの邊をとほつた時にでも、この樹は物珍しく感じたのであつたが、いま晩秋のしぐれ日和に眺めると、ああ筑紫の野を過ぎゆくのだなといふ趣が痛切に味はれると共に、遠い風土の秋に逢ふといふ情がしみじみと浮んでくる。筑肥の野を西へ西へとゆけば萬葉歌人の思出がこれかれあらはれても來たが、自分はこの地方色を織成す櫨の樹にとらへられてしまつて、古歌によまれた櫨も、黄櫨染のそれも、天之波士弓のそれもみな、この樹なのかと、平生草木のことに疎いのに反して、遽かに興味づいて來て獨り推考に耽つてゐた。

佐賀や有田より早岐を經て汽車が大村灣に沿うて南下する時分には氣分もおのづ一變して來る。海岸よりは寧ろ湖邊を通る心地がする。野生の山茶花があちらにもこちらにも山のほとりにさきみだれてゐる。黄菊が山路を色どつてゐる。蜜柑や金柑が枝もたわわに實のつてゐる。すべてが平和な南國の秋といふ氣持をあらはす眞ッ際中に、自分のからだは一刻一刻玉の浦長崎へともつてゆかれる。何だか伊太利亜の旅をして、とある由緒古き小都會へでも着くのではないかといふ氣がする。

もはや浦上村のみ堂や學寮らしいものが見えはじめる、稻佐の峠にさへぎられた夕ばえは、ほんのりこの平和な里を照らしてゐる。さあかうなると、もう櫨の樹も筑紫の秋も古典の感興も何もない。あ、我が長崎だ、長崎だと胸がをどるばかりだ。

旅亭の樓上に港の夜を眺望すれば、異境に居るときの樣な、落著かなさ、おぼつかなさの底に、何やら前途ありげな望みの光が點々たゞよふ氣がしてたまらなくなる。「あすは船づる何とせうぞの」といつたやうな心もとなさも衝いて來て、星とも螢ともみまがふ、山に據るこの港町の燈火をあかず眺め入つた。とうとう夢おちつかぬ一夜をすごしてしまつた。」

『朝霞随筆』(湯川弘文社、1943年)、68-70頁

2010年10月17日日曜日

オランダもろもろ

洋人行楽図 Westerners on a picnic
伝・若杉五十八 Attrib. to Isohachi Wakasugi
江戸中後期頃 late 18th to early 19th century
<長崎歴史文化博物館 AIIハ9>

西洋人の男女がピクニックを楽しむ様子を描く。無落款であるが、他作品との構図の類似などから、長崎の洋風画家・若杉五十八(1759-1805)の手になると伝えられる。一見西洋の絵と見紛う程の出来を示し、近世日本でつくられた油彩画の逸品と言える。



山鳩図 Wild pigeons
司馬江漢 Kokan Shiba
寛政年間 1789-1800
<長崎歴史文化博物館 AIIハ64>

日本における洋風画の開拓者の一人である司馬江漢(1747-1818)が描いた花鳥画。和絵の具を厚塗りして油彩画表現を試みた作品である。画面右上の落款「江漢写」および朱字サイン「Sib Kook」の形式から、江漢が描いた洋風画の中でも早い時期のものと考えられる。



瓊浦華蘭進港図 Foreign ships entering Nagasaki harbor
石崎融思 Yushi Ishizaki
文政3年 1820
<長崎歴史文化博物館 絵(長崎)34>

江戸後期長崎画檀の大御所的存在だった石崎融思(1768~1846)の代表作で、出島を中心に長崎港の内外を雄大な構図で描く。出島の手前の黒塀の屋敷は長崎奉行所西屋敷(現・県庁)。沖合いで曳航されるオランダ船は祝砲を撃ち放っている。



阿蘭陀人 Dutch couple
文綿堂版 Bunkindo
江戸後期 late Edo period
<長崎歴史文化博物館 AIIIハ26>

オランダや中国など、長崎ならではといったものを題材とした「長崎版画」の一つで、勝山町の版元・文綿堂が出版したもの。文綿堂は大和屋とならぶ長崎版画の最大手版元で、象・ラクダの舶載や、ロシア船の来航など、ニュース性あふれるものも板行した。



阿蘭陀船入津之図 Arrival of a Dutch ship (Nagasaki prints)
文綿堂版 Published by Bunkindo
江戸後期 Late Edo period
<長崎歴史文化博物館 版(長崎)53>

長崎版画の代表的版元の1つである勝山町の文綿堂から出版されたもので、「北虎」の角印から初代・松尾齢右衛門によるものと推定される。文綿堂版の特色である墨、茶、藍の彩色がはやくも見受けられ、横文字入りは当時の異国趣味の現れであろう。本作品の別刷りに<長崎歴史文化博物館 AIIIハ74>があり、また版木<同 木(日本)54>も現存している。