2019年9月5日木曜日

暦算全書の舶載

ウェブ展示「長崎聖堂の世界 ver 1.0」をまとめているときに、『暦算全書』舶載にまつわる記録がいくつか出てきたので、気になってはいたが、その後放置していた。月末に聖堂文庫にまつわる英語のレクチャーを長崎ですることになり、その準備をしていたら思い出したので、備忘のため記しておく。

『暦算全書』は、清朝を代表する数学者・天文学者である梅文鼎(ばいぶんてい、1633-1721)の著作約30種からなる天文暦算学の全集で、当時の東アジア数理科学に大きな影響を及ぼした。同書が日本にはじめて渡来したのは享保11年(1726)で、まもなく徳川吉宗の命により中根元圭が訓点本をつくっている。渡来した版本の現物(雍正二年封面板)が国立公文書館内閣文庫に、中根の訓点付写本が宮内庁書陵部に、それぞれ現存している。詳しくは小林龍彦先生のこの論考を参照。

その渡来について、「商船載来書目」(国会図書館)には「享保十一年丙午年[...]一暦算全書 一部四套」(大庭脩『江戸時代における唐船持渡書の研究』、687頁)と見え、また「[唐書目録]享保十一年午七番船舶載」(長崎歴史文化博物館聖堂文庫370-2)にも「同七番[船]/暦算全書 三十二本七十一巻/兼済堂纂刻梅勿菴先生暦算全書総目」と記して、総目の写しを控えている。

おもしろいのが聖堂文庫340-7「[唐船主寄附控](断簡)」に、「享保十一年午七番船/南京船主 丁益謙ヨリ寄附/暦算全書 一部 四套」と見え、それが丁益謙なる南京船主の寄附と明記することである。さらに長崎聖堂六代祭酒の向井斎宮が記した『向井家由緒書』(江戸中期、長崎歴史文化博物館福田13_166)の向井文平の項にも、

一享保十一午年 聖堂江唐船ゟ暦算全書与申書
 寄附仕候。新渡之書ニ付養祖父文平相伺献上仕候処
 御銀五枚拝領仕候。

のようにやはり寄附として扱われ、新渡りのため伺いを出して献上したところ銀五枚を拝領したと記す。

この寄附は、いったいどのような判断や背景でおこなわれたのだろう。

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