2020年6月10日水曜日

『暦象新書』西域天學来暦


   西域天學来暦
是書は、暗厄里亜國人奇兒氏なる者の著せる天學書中の説にして、其説古來天學家の謂ふ所に異也。古來天學家は、皆天を動とし、地を靜也として、地を以て天の中心とす。然るを是書は、天を靜也とし、地を動とし、且又地球の外に、許多の世界あるの理を云。按ずるに、近世彼方に行るゝ天學、其本は亞夫利加洲の厄日多國に起りて、厄勒祭亞の總王たりし時、學士比太古刺私といへる者、彼國に渡り、在留する事七年にして、學び得て歸國せり。此時此學初て歐羅巴洲に渡れり。然れども當時亞里私鐸底兒斯杯云し大家の學者、多くは舊説を固執して、新渡の學流、古來相傳の師説に合ざるを疾ける故に、僅に數箇所の學校にして、是を講ずるのみにして、盛に行るゝこと能ざりし。
(『文明源流叢書』巻二、百一頁)

堀田仁助

 明和2年(1765)9月20日付で「堀田兵之助」が渋川図書光洪宛に提出した、天文暦術の誓約書が現存する。これは津和野藩士の堀田仁助(1745-1829、通称ははじめ兵之助、号は泉尹)のことだろう。堀田は天明3年(1783)に幕府天文方属員となり、寛政改暦にも参加し、また地理学・...