2020年1月22日水曜日

「渾天儀」の刊行によせて(岡田芳朗)

江戸時代には天文暦法に関する書籍が数多く出版されており、今日各地に伝存する数もかなり多いのですが、これは主として武士の間で天文や暦法が、教養として重んじられた為であります。教養としての天文暦法は、必ずしも純粋に自然科学的な知識や、観測の技術を修得する為のものではなく、むしろそれによって、儒教的道徳が天地の理に適った、崇高なものである事を学ぶ為のものであったのです。
天地の原理を論じて人倫の道を説くと言った筆法は、東洋においてばかりではなく、西洋においても、近代的天文学が成立するまで見られた傾向でありますが、その為に洋の東西を問わず、天文学が重要視されて広く学ばれたのです。東洋では太陰太陽暦を近年まで使用しておりましたが、その複雑な暦法、正確な天文常数を求めて、特に暦法に対する関心が強かったのです。(北川宗俊著、山口泰欽写本、木村東市解読・解説『渾天儀:享保年間南部藩最古の天文学書』私家版、1989年、岡田芳朗序文より)

麻田剛立先生行状記(石川県立図書館)1

先君子[麻田剛立]幼名庄吉、後璋庵ト云フ、則其号ナリ。生レテ三才ノトキ其父有終先生ニ抱レテ後園ニ遊ヒケルトキ、折節月夜ナリシカハ、月ヲミセテ其高キコトヲ語リシニ、先君子問曰ク、月ヨリ高キモノアリヤ、ト。先生曰、日ナリ、ト。又問、日ヨリ高キ者アリヤ、ト。曰、星ナリ。又問フ、星ヨリ高モノアリヤ、ト。其トキ先生笑テ、其上ハ我モシラス、ト答ヘシカハ、先君子曰、父不知ヤ、我ハ長テ後知之、ト云ヘリ。其後生長スルニ付テ天文ノ志アリ。其トキ有終先生家人ニ語リテ、カツテ此児生長ノ後ハ、天文者ニナルヘシト云シカ、今マハタシテ然リ、ト云テ悦ヘリ。

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