イサベル田中ファンダーレン(Isabel Van Daalen)さんの、出島のマレー系奴隷についての論文がgoogle booksに出ている。
リンクはこちら(第4章。一部閲覧制限)
ご本人からコピーを頂いて読んだが、とても勉強になった。
前半はオランダ東・西インド会社の奴隷貿易からabolitionへと至る流れのまとめだが、これまで英語で書かれてこなかった情報が多く(研究はほとんどオランダ語)ありがたい。
後半は、オランダ人が出島に連れてきたマレー系奴隷(日本人は「黒坊」と呼んだ)についてで、日蘭両方の資料から、彼らがどのように見られ、扱われたのか、なぜ奴隷制が簡単には廃止できなかったのか、等を丁寧に描いている。
今でも彼らの存在をslaveではなくservantと思っている(思いたい)人が研究者にもけっこういる。日本語で読める研究が島田論文くらいしかないからだろう。出島に遊女を派遣するシステムが確立したのは、奴隷まで含めた女性の来航が禁止されたことと無関係ではない。彼/彼女らがどんな人生を送ったかは、オランダ人も日本人も決して忘れてはならないだろう。
長崎の博物館にいた時、インドネシアや東南アジア系のお客さんをオランダコーナーに案内する機会が何度かあり、正直緊張したが、表立って不快感を示されることはほとんどなかった。そのことにも違和感を感じていたが、この論文を読んで、気づくところが多かった。
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