2010年2月26日金曜日
2010年2月20日土曜日
月朗かに風涼しく
ホームページ作成に取り掛かるに際して、勢いでブログも作ってみることにした。
今日はちょっと調べたい墓があったので、悟真寺で半日過ごした。現場に行ってみると、いろいろ抱えていた疑問が氷解し、満足する。その後久しぶりに国際墓地全域をじっくりめぐりながら、異国の土となった先人たちに思いを馳せてみる。残りの人生で一体何ができるのか、そんなことまで考えさせられるのは、最近長年取り組んできた研究課題に一応一区切りをつけることができたからだろう。やはりけじめは大事。最早訪れる人もなく、打ち崩れていくばかりの有銘・無銘の墓碑たちに、ただただ畏敬の念をもって、合掌。
夜は家族でランタンフェスティバル。唐人屋敷は長崎でもっとも好きな場所の1つ。たくさんの人がここを訪れてくれるのは喜ばしいことだが、この場所が歴史的に果たした役割の重要性に関するリテラシーは、地元の人々の間でもまだ十分に形成されていないと思う。唐人屋敷や唐寺、来舶清人にまつわる調査をさらに推し進め、その情報を広く公開していくことは、関連史跡の保存活動とあわせて、長崎の歴史に携わるものの責務でもある。
人生の秋と呼ぶにはまだまだ早い僕なので、これからの研究生活でいったい何を行うのか、じっくり考える春にしたい。
今日はちょっと調べたい墓があったので、悟真寺で半日過ごした。現場に行ってみると、いろいろ抱えていた疑問が氷解し、満足する。その後久しぶりに国際墓地全域をじっくりめぐりながら、異国の土となった先人たちに思いを馳せてみる。残りの人生で一体何ができるのか、そんなことまで考えさせられるのは、最近長年取り組んできた研究課題に一応一区切りをつけることができたからだろう。やはりけじめは大事。最早訪れる人もなく、打ち崩れていくばかりの有銘・無銘の墓碑たちに、ただただ畏敬の念をもって、合掌。
夜は家族でランタンフェスティバル。唐人屋敷は長崎でもっとも好きな場所の1つ。たくさんの人がここを訪れてくれるのは喜ばしいことだが、この場所が歴史的に果たした役割の重要性に関するリテラシーは、地元の人々の間でもまだ十分に形成されていないと思う。唐人屋敷や唐寺、来舶清人にまつわる調査をさらに推し進め、その情報を広く公開していくことは、関連史跡の保存活動とあわせて、長崎の歴史に携わるものの責務でもある。
人生の秋と呼ぶにはまだまだ早い僕なので、これからの研究生活でいったい何を行うのか、じっくり考える春にしたい。
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堀田仁助
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[舟橋秀賢]筆 『慶長六年具注暦』京都大学附属図書館 6-04/ケ/1貴 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00008026
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