2010年7月23日金曜日

ホルトス引札(広告)


販売所:袋町(現・栄町)岡村屋宗兵衛
江戸後期~近代
<長崎歴史文化博物館 医学9-1>

むねやけ・癪気の薬「ホルトス」の広告チラシ。江戸後期には「蘭方」と称してカタカナ名をつけた薬が全国に出回り、よく売れた。ホルトスもその一つで、実際はオランダと無関係であるが、昭和になるまで販売されるなど流行を博した。日本における横文字名薬剤流行のはしりと言える。

2010年7月19日月曜日

青貝細工漢方薬看板


江戸後期~近代 100x60x20cm
<長崎歴史文化博物館 Gフ0003>

外枠に青貝が施された看板で、裏表で計4種の漢方薬の効能を宣伝するもの。表面の「仙伝解毒丸」「山帰来妙応湯」は、いずれも梅毒などに由来する潰瘍・炎症・皮膚病の薬で、その効能は「神の如し」されている。

堀田仁助

 明和2年(1765)9月20日付で「堀田兵之助」が渋川図書光洪宛に提出した、天文暦術の誓約書が現存する。これは津和野藩士の堀田仁助(1745-1829、通称ははじめ兵之助、号は泉尹)のことだろう。堀田は天明3年(1783)に幕府天文方属員となり、寛政改暦にも参加し、また地理学・...