20回目の神戸ルミナリエが始まったという。来月には、阪神・淡路大震災から20年ということか。
あの時、大学2年生で、神戸で1人暮らしをしていた。被害が最も甚大だった地域からはやや離れていたが、それでもさまざまな意味で忘れられない震災体験をした。
自宅の被害は大したことはなかったが、しばらくのあいだ電気、ガス、水が止まった。町中のコンビニやスーパーだけでなく、自動販売機も利用できなくなった。食事、トイレ、風呂など、日々の日常が、突然日常ではなくなり、あたりまえのことが、実はあたりまえではないのだということを思い知らされた。
多くの友人・知人が連絡不能になったので、震災直後からバイクで小中学校などの避難所を頻繁におとずれ、彼らの消息をさぐったり、見つけたら安全な場所に移動するなどの手助けをした。震災直後は混乱を極め、道路はどこにいっても大渋滞だったので、バイクは重宝した。
被害者とも、第三者ともつかない視点で、被害が甚大な地域をあちこち渡り歩いたが、そこで目にした多くの光景は言語に尽くし難いものがあった。今でも神戸を訪れると、その景色が脳裏に鮮明によみがえる。そして現在の街並みとの間のギャップに、強烈な目眩を覚える。おそらくこの感覚はずっと消えないだろう。
今思えば、科学とか、人間とかいったものについて、あれこれ考えるようになったのは、あの体験が大きかったのかもしれない。
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