イサベル田中ファンダーレン(Isabel Van Daalen)さんの、出島のマレー系奴隷についての論文がgoogle booksに出ている。
リンクはこちら(第4章。一部閲覧制限)
ご本人からコピーを頂いて読んだが、とても勉強になった。
前半はオランダ東・西インド会社の奴隷貿易からabolitionへと至る流れのまとめだが、これまで英語で書かれてこなかった情報が多く(研究はほとんどオランダ語)ありがたい。
後半は、オランダ人が出島に連れてきたマレー系奴隷(日本人は「黒坊」と呼んだ)についてで、日蘭両方の資料から、彼らがどのように見られ、扱われたのか、なぜ奴隷制が簡単には廃止できなかったのか、等を丁寧に描いている。
今でも彼らの存在をslaveではなくservantと思っている(思いたい)人が研究者にもけっこういる。日本語で読める研究が島田論文くらいしかないからだろう。出島に遊女を派遣するシステムが確立したのは、奴隷まで含めた女性の来航が禁止されたことと無関係ではない。彼/彼女らがどんな人生を送ったかは、オランダ人も日本人も決して忘れてはならないだろう。
長崎の博物館にいた時、インドネシアや東南アジア系のお客さんをオランダコーナーに案内する機会が何度かあり、正直緊張したが、表立って不快感を示されることはほとんどなかった。そのことにも違和感を感じていたが、この論文を読んで、気づくところが多かった。
2016年8月21日日曜日
2016年7月1日金曜日
【告知】ウェブ展示「長崎聖堂の世界ver. 1.0」公開
下記ホームページにて表記のウェブ展を公開しましたのでお知らせいたします。
ウェブ展示「長崎聖堂の世界ver. 1.0」
http://bit.ly/28UjnYd
近世日中交流の重要拠点にまつわる初の本格的展観です。
このヴァージョンはひとまずの区切りとして公開するもので、ご意見やコメントがあれば是非お寄せ頂きたく、また関心をお持ちの向きにお知らせ頂ければ幸いです。
ウェブ展示「長崎聖堂の世界ver. 1.0」
http://bit.ly/28UjnYd
近世日中交流の重要拠点にまつわる初の本格的展観です。
このヴァージョンはひとまずの区切りとして公開するもので、ご意見やコメントがあれば是非お寄せ頂きたく、また関心をお持ちの向きにお知らせ頂ければ幸いです。
2016年6月25日土曜日
【予告】ウェブ展示「長崎聖堂の世界 ver. 1.0」
地震前から「長崎聖堂の世界 ver. 1.0」なるウェブ展示の公開を準備しているが、画像の権利ごとにようやく目処がつき、近日中に公開できそうで一安心。
新発見の信牌(個人蔵・玉名市立歴史博物館こころピア寄託)や、長崎に現存する関連遺物・文書を通じて、近世日中交流の拠点としての聖堂の姿を浮かび上がらせたい。近日中に公開しますのでご覧頂ければ幸いです。
中島聖堂遺構大学門(長崎市HP)
http://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/192001/p000704.html
新発見の信牌(個人蔵・玉名市立歴史博物館こころピア寄託)や、長崎に現存する関連遺物・文書を通じて、近世日中交流の拠点としての聖堂の姿を浮かび上がらせたい。近日中に公開しますのでご覧頂ければ幸いです。
中島聖堂遺構大学門(長崎市HP)
http://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/192001/p000704.html
2016年3月9日水曜日
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