2016年8月21日日曜日

Slavery on Deshima

イサベル田中ファンダーレン(Isabel Van Daalen)さんの、出島のマレー系奴隷についての論文がgoogle booksに出ている。

リンクはこちら(第4章。一部閲覧制限)

ご本人からコピーを頂いて読んだが、とても勉強になった。

前半はオランダ東・西インド会社の奴隷貿易からabolitionへと至る流れのまとめだが、これまで英語で書かれてこなかった情報が多く(研究はほとんどオランダ語)ありがたい。

後半は、オランダ人が出島に連れてきたマレー系奴隷(日本人は「黒坊」と呼んだ)についてで、日蘭両方の資料から、彼らがどのように見られ、扱われたのか、なぜ奴隷制が簡単には廃止できなかったのか、等を丁寧に描いている。

今でも彼らの存在をslaveではなくservantと思っている(思いたい)人が研究者にもけっこういる。日本語で読める研究が島田論文くらいしかないからだろう。出島に遊女を派遣するシステムが確立したのは、奴隷まで含めた女性の来航が禁止されたことと無関係ではない。彼/彼女らがどんな人生を送ったかは、オランダ人も日本人も決して忘れてはならないだろう。

長崎の博物館にいた時、インドネシアや東南アジア系のお客さんをオランダコーナーに案内する機会が何度かあり、正直緊張したが、表立って不快感を示されることはほとんどなかった。そのことにも違和感を感じていたが、この論文を読んで、気づくところが多かった。

2016年7月1日金曜日

【告知】ウェブ展示「長崎聖堂の世界ver. 1.0」公開

下記ホームページにて表記のウェブ展を公開しましたのでお知らせいたします。

ウェブ展示「長崎聖堂の世界ver. 1.0」
http://bit.ly/28UjnYd

近世日中交流の重要拠点にまつわる初の本格的展観です。

このヴァージョンはひとまずの区切りとして公開するもので、ご意見やコメントがあれば是非お寄せ頂きたく、また関心をお持ちの向きにお知らせ頂ければ幸いです。



2016年6月25日土曜日

【予告】ウェブ展示「長崎聖堂の世界 ver. 1.0」

地震前から「長崎聖堂の世界 ver. 1.0」なるウェブ展示の公開を準備しているが、画像の権利ごとにようやく目処がつき、近日中に公開できそうで一安心。

新発見の信牌(個人蔵・玉名市立歴史博物館こころピア寄託)や、長崎に現存する関連遺物・文書を通じて、近世日中交流の拠点としての聖堂の姿を浮かび上がらせたい。近日中に公開しますのでご覧頂ければ幸いです。

中島聖堂遺構大学門(長崎市HP)
http://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/192001/p000704.html

2016年3月9日水曜日

「長崎墓マップ」が長崎新聞で紹介されました

ホームページで公開中の「長崎墓マップ」を長崎新聞さんに紹介して頂きました(2016年3月7日付、13面)。長崎の墓の文化財としての価値と重要性が知られるきっかけになればありがたいです。


堀田仁助

 明和2年(1765)9月20日付で「堀田兵之助」が渋川図書光洪宛に提出した、天文暦術の誓約書が現存する。これは津和野藩士の堀田仁助(1745-1829、通称ははじめ兵之助、号は泉尹)のことだろう。堀田は天明3年(1783)に幕府天文方属員となり、寛政改暦にも参加し、また地理学・...