2016年8月21日日曜日

Slavery on Deshima

イサベル田中ファンダーレン(Isabel Van Daalen)さんの、出島のマレー系奴隷についての論文がgoogle booksに出ている。

リンクはこちら(第4章。一部閲覧制限)

ご本人からコピーを頂いて読んだが、とても勉強になった。

前半はオランダ東・西インド会社の奴隷貿易からabolitionへと至る流れのまとめだが、これまで英語で書かれてこなかった情報が多く(研究はほとんどオランダ語)ありがたい。

後半は、オランダ人が出島に連れてきたマレー系奴隷(日本人は「黒坊」と呼んだ)についてで、日蘭両方の資料から、彼らがどのように見られ、扱われたのか、なぜ奴隷制が簡単には廃止できなかったのか、等を丁寧に描いている。

今でも彼らの存在をslaveではなくservantと思っている(思いたい)人が研究者にもけっこういる。日本語で読める研究が島田論文くらいしかないからだろう。出島に遊女を派遣するシステムが確立したのは、奴隷まで含めた女性の来航が禁止されたことと無関係ではない。彼/彼女らがどんな人生を送ったかは、オランダ人も日本人も決して忘れてはならないだろう。

長崎の博物館にいた時、インドネシアや東南アジア系のお客さんをオランダコーナーに案内する機会が何度かあり、正直緊張したが、表立って不快感を示されることはほとんどなかった。そのことにも違和感を感じていたが、この論文を読んで、気づくところが多かった。

堀田仁助

 明和2年(1765)9月20日付で「堀田兵之助」が渋川図書光洪宛に提出した、天文暦術の誓約書が現存する。これは津和野藩士の堀田仁助(1745-1829、通称ははじめ兵之助、号は泉尹)のことだろう。堀田は天明3年(1783)に幕府天文方属員となり、寛政改暦にも参加し、また地理学・...