江戸時代の日本と世界をつないだ出島や唐人屋敷は、それ単独で存在していたのではなく、この石垣の主である長崎奉行所西役所とセットで考える必要があります。
キリシタン時代にはイエズス会本部が、幕末には海軍・医学伝習所が置かれるなど、史跡の町・長崎でも、これほど重要な場所はほかにないと断言できるほどです。
個々の遺構や遺物はもちろん、「場」としての文化財的価値も、後世に向けて確実に維持されるような整備計画が進むことを、切に望みます。
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