印文「長崎東衙官許」(縦長方・陽・朱)
S.F.Hermstaedt, Bijvoegsel tot de algemeene schets der technologie, Amsterdam, S. De Grebber, 1831(ヘルムシュテッド『応用科学概論補遺』) <長崎歴史文化博物館 2_566>
「東衙」とは長崎奉行所立山役所(現・長崎歴史文化博物館)のこと。安政5年(1858)、徳川幕府は長崎奉行に輸入洋書を検査して改め印を捺すことを命じ、立山役所がその職にあたった。その際捺されたのが本検印で、幕末期にどのような洋書が舶載され、全国に広がったかを研究する上で重要な手がかりとなる。他に本検印が捺された資料を所蔵する機関に、国立国会図書館、静岡県立中央図書館葵文庫、東北大学附属図書館、東京大学附属図書館、早稲田大学図書館、金沢大学附属図書館などがある。本書は長崎県が近年購入したものである。
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