2011年11月15日火曜日

研究発表会「幻の『シーボルト日本博物館』を追って」

12月3日(土)の18時から、長崎歴史文化博物館1階ホールにて、標題の研究発表会が開催されます。

入場無料、申し込み不要です。関心のある方はぜひご参加ください。


以下、案内文とチラシ(pdf)を貼り付けます。

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平成23年11月8日

関係各位

晩秋の候、皆様には益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。この度下記のとおり、科学研究共同発表会を開催することとなりました。お誘いあわせの上、ご参加くださいますようお願い申し上げます。



記

タイトル:日本学術振興会科学研究費(科研)助成共同研究成果報告会
「幻の『シーボルト日本博物館』を追って」

内容: 第一部 個別報告 第二部 パネルディスカッション

日時:平成23年12月3日(土)18時開演(17時30分開場) 入場無料 申し込み不要

場所:長崎歴史文化博物館イベントホール

主催:長崎純心大学比較文化研究所

共催:人間文化研究機構国立歴史民俗学博物館、長崎市シーボルト記念館

趣旨:

文政年間に長崎に来訪した医師で日本研究家でもあったフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、日本滞在中日本の自然とそこに生活する人間を多面的に捉えるために様々な調査や夥しい数の日本に関する資料を収集し、ヨーロッパに持ち帰った。

その成果をまとめた三部作『日本植物誌』、『日本動物誌』『日本』はその後のヨーロッパの人々による日本研究に大きな影響を与えたことが知られている。また今日ではすでに忘れ去られてしまったことではあるが、シーボルトは来日中から日本の自然や生活文化、さらには生業を紹介するために世界初の民族学博物館である『日本博物館』設立を計画し、帰国後実際にオランダやドイツで数々の日本展示をおこない一般民衆に日本を紹介しようと試みていた。

しかしながら、シーボルトが日本をどう捉え、どのような構想のもとに日本を紹介しようとしたかは、まだ十分に解明されていない。

そこで、本報告を行う研究者が共同研究「「シーボルトが紹介しようとした日本」の復元的研究」(科研基盤研究B)を組織し、日本学術振興会科学研究費の助成を仰ぎ、4年にわたり基礎的な調査、研究を続けてきた。

今回のシンポジウムでは、各研究者の研究成果を広く一般の方々に紹介する目的で開催する。


報告予定者:

久留島浩 国立歴史民俗博物館副館長・教授(日本近世史)

 青山宏夫 国立歴史民俗博物館副館長・教授(歴史地理学)

 日高薫  国立歴史民俗博物館教授(日本文化史、漆工芸)

 松井洋子 東京大学史料編纂所教授(日蘭交渉史)

 小林淳一 東京都江戸東京博物館副館長・長崎純心大学大学院客員教授(日欧交渉史)

 宮坂正英 長崎純心大学比較文化研究所長・教授(歴史社会学、シーボルト研究)

問合せ先:095‐846‐0084 長崎純心大学 宮坂(月~木曜日10時~16時)

2011年11月10日木曜日

リニューアル

長崎歴史文化博物館の常設展「歴史文化展示ゾーン」は、今月23日(水)をもって一端クローズとなり、来年4月1日にリニューアルオープンします(その間も、奉行所展示と孫文展は鋭意開催しています)。


現在、リニューアル後の展示グラフィックの制作作業が大詰めを迎えています。開館前、諸先輩方と苦労して作った今のグラフィックがなくなるのは、ちょっと寂しい気もします。が、この6年間培ったノウハウをつぎ込んだ、気合の入った新常設展にする予定なので、皆様、是非、今の常設の見納めと、再オープン後の展示を見に、博物館まで足をお運びください。とくに23日までやっている特集展示「版画の美」@美術展示室は、長崎版画とド・ロ版画の名品揃いで、おすすめです。



リニューアル後の新たな見どころの1つに、新映像コーナー「長崎交流史列伝」があり、わたしは市の学芸員のTさんと一緒に「ヘンドリック・ドゥーフ」の映像制作を担当しています。先日その撮影のため、出島にお邪魔しました。写真は阿蘭陀通詞・中山作三郎と、ドゥーフ役の俳優さんです。2人が夕暮れの出島メインストリートを歩く姿は、ドラマとわかっていながらも、200年前の日常を髣髴とさせ、なかなか感慨深いものがありました。



カピタン部屋での撮影風景。内容は大まかに言って、近世蘭日辞書の金字塔「ドゥーフ・ハルマ」編纂秘話の体をとっています。M先生が「写本にこの一節を見つけたときは“これは絵になる記述だ”と思った」とおっしゃるネタを中核に、シナリオを構成しました。撮影は深夜まで押しに押し、いつもお世話になっている出島の学芸員さん方にもご迷惑をおかけしました( ゚д゚)) 。_。))ペコリ



リニューアル完成への道のりは、まだ果てしなく遠く見えますが、楽しみながら乗り越えて行きたいものです。

2011年10月31日月曜日

展覧会など-2011年10月


「シーボルトとオランダ貿易展」@シーボルト記念館(長崎市鳴滝)

非常に楽しみにしていた展示。阿蘭陀通詞・中山文庫の文書類、個人蔵の更紗・羅紗・金唐革類、あと武雄の茂義関係資料から構成する。

中山文庫の長崎会所五冊物は初めて見たが、表紙に「通詞部屋置付」と記された重要な写本。

金唐革の薬箱は初めて見た(中身が見れないのが残念)。羽織紐は「阿蘭陀とNIPPON」展に出品した個人蔵のものとやや形状が異なる。ふむふむ。金唐革の鞘の短刀といい、今回出ている金唐革資料は珍しいものが多い。青貝の刀掛けも良い品で、長崎の趣味人の趣向を感じる。

羽織を中心に更紗、羅紗の展示もたいへん充実。プルシアンブルーで染めあげられたという堺更紗(羽織の裏地にも)なるものが展示されていて驚く。輸入顔料が、染料としても用いられていたならば面白い。科学分析結果が知りたいところ。長崎更紗は、博物館にも巨大なのがあるが、評価が難しいと言われ、これまで展示したことがない。上野俊之丞あたりが絡んでいるのだろうか。ヨーロッパ更紗の半襦袢は、柄はまさしくシノワズリ。19世紀中葉頃とのこと。

朝倉南陵の「木蓮にインコ図」は南蘋派か。神戸市博の成澤さんの展示でも出品されたことがあるとのこと。落款は白文「朝倉」朱文「南陵」。

たいへん勉強になり、目の保養にもなった。6日までなので、この分野に興味のある方はぜひご覧になられることをお奨めする。

2011年10月17日月曜日

展覧会など-2011年9~10月、熊本

2011.9.21
①「富重写真所開業145周年記念展 百年の熊本」@熊本県伝統工芸館

公式HPより:熊本市の冨重写真所は、日本で最初の写真師である長崎の上野彦馬のもとで修行した冨重利平により、慶応2年(1866)に開業されました。本年はその開業145年を迎えます。この冨重写真所は、平成18年国の登録有形文化財(建造物)に指定され、現在もそのままの形で現役の写真所として続けられています。
 日本に写真術が渡来したのは、幕末の嘉永元年(1848)のことでした。以来、日本人は写真術の導入と実用化に努め、しばらくの試行の後、欧米諸国と同様に写真を使いこなすようになりました。幕末の開国以後、我が国は西洋の科学技術や制度を受け入れ、政治的、社会的、また文化的に、大きな発展を遂げてきましたが、写真はその中で発達するとともに、視覚的なメディアとして社会に大きな影響を与えてきました。これら当時最先端の写真技術はもちろん熊本の冨重写真所でも駆使され、当時の写真機や熊本の風景、そこに息づいた人々の様子がうかがえる写真が撮影され、現在も大切に保管されています。
 今回の展覧会では、これらの資料に基づき、明治・大正・昭和の時代の熊本城や港、街並み、歴史的建造物、当時のファッションを身にまとった人々など、熊本で暮らした人々の息づかいや近代化していく熊本の様子を感じていただく機会にしたいと考えます。

業界では有名な富重写真所の記念展。写真はどれも新しく見える。
成立年はモノとしてではなく、撮影対象を基準にしているのかもしれない。
「マンスフェルトと医学校写真」を熟覧し、キャプションのメモを
とる。


②「細川家の絵師たち 江戸絵画の精華」@熊本県立美術館
「瀟湘八景」という画題には興味がある。
また博物学関係の和本「艸木生うつし」(1758-1761)永青文庫蔵と、6代重賢「群禽之図」(1761-75)、同蔵は興味深い。以前東京の永青文庫や東博の細川家展でも同種の博物学史料を見た。
「珍禽奇獣図」18世紀所収の千年土龍(森祖仙)のタヌキ図。森は細川家ゆかりなのだろう。

2011.10.14
「宮崎家と革命の志士たち―未公開史料展」@宮崎兄弟資料館

01.黄興書「春水満四澤…」 荒尾市田中和彦氏蔵 1830x700 掛福
陶淵明『四時詩』「春水満四澤 夏雲多奇峰 秋月揚明暉 冬嶺秀孤松」

02.孫文書「大塊文章」 大牟田市・荒木登志男氏蔵 1250x435 扁額(本紙・橙色)
東京の定宿「玉名館」の宇佐音来彦に贈ったもの
cf. 新藤東洋男「宇佐穏来彦と勝海舟・宮崎滔天-大陸浪人誕生の一類型」

03.宮崎滔天書「喜観」 福岡市・島村英治氏蔵 扁額
落款「宮崎/寅蔵」方・陽・朱

04.宮崎八郎書簡 明治3年11月東京より 館蔵
高瀬公と長崎見物、凌雲丸 協力:玉名市立博物館こころピア

05.宮崎民蔵書簡(宮崎美以宛) 7月27日付 上海虹口勝田旅館(上海のたまり場)より 館蔵
入江方にいる亀井に会う。三村君と帰郷のつもり

06.宮崎滔天書簡(民蔵宛) 10月18日付 館蔵
菊池良一が載(戴ヵ)公に話し、載公より直接ドクター(孫文)に伝達云々。姚尺君につき。寺尾の手を経てドクターに? 頭山は「頭節」。長崎鈴木(天眼)宛の手紙につき

07.民蔵書簡(留茂・諠子宛賀状) 荒尾市図書館・宮崎英民文書77
昭和元頃

08.滔天の宮崎九郎宛 同文書78 (大正9年)12月10日付

09.龍介 の宮崎九郎宛 同文書78 (昭和18年)1月

10.滔天の衆議院議員立候補宣言状 荒尾市・米村一幸氏蔵

11.滔天の衆議院議員立候補推薦状 荒尾市・米村一幸氏蔵
米村初太郎宛。犬養・頭山他4名連名

12.宮崎虎蔵書簡(幼馴染の島村又蔵宛) 寄託(福岡県島村英治氏蔵)
巻子装。(大正8年?)3月1日投函

常設展
01.革命同志の寄書き 額装 本紙1000x40程度

02.孫文書「博愛行仁」 扁額

03.黄興書「達観」 扁額

04.黄興書 不日清朝打倒の七律 掛福

05.章炳麟書 革命評論社へ贈った一幅 掛福

2011年9月5日月曜日

展覧会など-2011年9月

◇企画展『坂本龍馬と幕末の長崎』@長崎南山手美術館

昨年オープンした長崎の個人美術館で、貴重な個人蔵資料をご主人の案内つきで拝見できる。展示を見た後のコーヒーもまた格別。現在の企画展も見どころ満載で、個人的には長崎奉行(所)関係資料、秋の浦焼、蘇州土の亀山焼、鉄翁・逸雲・小曾根乾堂の扇面などが印象深かった。場所はグラバー園の入り口のところ。



◇収蔵品展「渋沢栄一と孫文」@渋沢史料館

渋沢と孫文の交流にまつわる、おもに第二革命後の亡命時代と、1924~1925年の孫文最後の来日と病没時の資料を中心に展示が構成されている。盛宣懐の書「月圓人壽」と、黄興の書「論語廿篇傳泗水」が出ていた。孫文の北伐宣言書簡(大本営箋)は常設展の方に出ている。孫科からの父死去の電報の文面は、梅屋に宛てたものとほぼ同じ。ふむ。中国工業株式会社・中日実業株式会社の具体的な業務については紹介されていなかった。



◇「明・清陶磁の名品」@出光美術館 

最終日。清朝官窯の粉彩は圧巻。官民競市というテーマはとても重要だと思う。



◇逓信総合博物館 ていぱーく 常設展

明治4年の大北電信の機器類について調べている関係で訪れるが、たいへん勉強になった。

・二代広重『開花進歩日用双六』明治12年(まるで長崎事始め一覧みたいな内容だが、近代長崎については、ナイーブな先取権争いに回収されないソリッドな評価の枠組みを形成することが、今後の大きな課題でもある)

・シーボルト所有「電気治療器」(第2回来日時の長崎で、福島の蘭医・江藤長俊に米50駄で譲ったものという。1836年発明のダニエル電池が電源の可能性。うるし塗りで、内部に紙こより銅線があることから、佐久間象山製作か、とのことだが、もしそうなら一体どういうこと?)

・佐久間象山の電気治療器とボルタ電池 万延元年頃(静電気ではなく電池を使った動電機製では日本発とのこと。)

・パネル「電気治療機械解説」(出典不明)

・郵便禁制品の看板 明治16年 駅逓局

・エンボッシングモールス電信機 ペリー持参

・電信機之布告 明治2年

・和文・横(欧)文電信表

・ブレゲ指字電信機

・国産モールス印字電信機 明治12年



◇松丸本舗@丸善丸の内本店

いろいろ楽しめたし、驚いたが、ここで「棚買い」している人がいたのに一番吃驚。

2011年8月24日水曜日

展覧会など-2011年8月

出張の仕事の合間に展覧会へ。

<空海と密教美術展>@東博
人の渦で、腰高の展示はすべてあきらめる。「血曼荼羅」から、最後の東寺仏像曼荼羅は圧巻。これだけあちこちから国宝・重文を借りて、造作・照明にも潤沢に投資できる展示ができたら、さぞ楽しいだろう。それはそれで大変に違いないが。

<博物館できもだめし─妖怪、化け物 大集合─」>@東博・本館
これはおもしろかった。根付などの小物をグラフィックのパネルに載せて見せてみたり、壁面の解説パネルも秀逸なセンスで、個人的にはよくぞ東博でこれをやってくれたと脱帽。

<三菱一号館美術館 歴史資料室>
デジタルを駆使して静嘉堂・東洋文庫の名品を紹介する。CG・映像とも、よくできているなと思ったらトータルさんだった。

昨日は久々に本郷の図書館をはしごして、汗をかきながら文献を集める。古い書庫はどこもよく似た独特の匂いがする。なつかしき院生時代の匂い。ネットに依存して、こういうものの調べ方をしばらくしていなかった自分に気づき、反省(長崎にそういう書庫がほとんどなく、勤め先の書庫はまだ新しい、からでもある)。

六本松の図書館も、いまはもうない。研究拠点だった図書館がなくなることは、さみしい限りである。

2011年8月9日火曜日

釜山行

先日、故あって釜山を数日訪れたので、草梁倭館のあった龍頭山公園付近や、あと釜山博物館に足を伸ばしてみる。展示室では近世日朝交流に相当なスペースが割かれているのに正直驚く。石碑等も野外展示されており、いずれも大変重要なもの。個々の由来についての解説は同館ホームページから転載(ここ)。

約条制札碑 1683年

粛宗9年(1683)東莱府使と対馬島主が倭館の禁制条項5個条を制定し、これを広く知らせるために立てた石碑でその内容は次の通りです。

一 約定した境界外に如何なる理由であれ外出した者は死刑に処す。
二 贈収賄は現行犯を逮捕して贈賄者や収賄者共に死刑に処す。
三 開市日に日本人の居所に入り密かに売買する者は朝鮮人 · 日本人を問わず死刑に処す。
四 平素雑物を搬入時、日本人は朝鮮側の色吏(吏属) · 庫子(倉庫管理人) · 小通事を殴打してはならない。
五 朝鮮人 · 日本人を問わず犯罪人は倭舘外において刑を執行する。

壬辰倭乱(文禄 · 慶長の役)で閉鎖された倭館が宣祖40年(1607)釜山の豆毛浦(現在の水晶洞辺)に再び設置されると、密貿易と雑商行為など日本人の各種犯法行為が多くなり、粛宗4年(1678)草梁(現在の竜頭山一帯)へ倭館を移した後にも弊端が多く、これを糾すため禁止条項を定めました。漢字と日本語で製作されて朝鮮側の守門と日本側の倭館の境界線にそれぞれ立てました。 その当時に朝鮮側に立てたものがこれです。 現在は碑身だけ残っていますが上部が丸い形であることから最初から碑頭に載せる部分は無かったと見え、材料は花崗岩です。 元々は草梁倭館があった竜頭山公園東側に立っていたものを釜山博物館へ移し野外に展示しています。
時代 : 朝鮮(1683)、 規格 : 高さ 140㎝、 幅 : 68㎝、 指定番号 : 釜山市指定文化財記念物 第17号



斥和碑 1871年

1871年4月興宣大院君が西洋、日本等近代列強帝国の侵略を排斥し、鎖国を強化するための固い意志と国民に対して覚醒を促そうとソウルと全国の要所に立てたものの一つです。元は釜山鎮城址に立っていたもので『洋夷が侵犯した時「戦わずに和解することは国を売ることだ」これを後孫に警告する。丙寅年に作り、辛未年に立てる。』と刻んであります。全国の斥和碑は1882年壬午軍乱時大院君が清に拉致され、朝鮮が文物を交流開放し、通商する時に全て撤去されました。
時代 : 朝鮮時代(19世紀)、 高さ : 143cm、 幅 : 44.7cm 1871年(高宗 8年)




東莱府使・李澤遂善政碑 1774年














東莱府使・柳◇善政碑 成立年未詳













2009年開催の東莱府使展の立派な図録を見つけたので購入。東莱府使と長崎奉行の比較展示をやったらおもしろいのではないだろうか。「四つの口」にまつわる研究や展示は長崎が率先してリードすべき領域だと思っているが、なかなか厳しい現況である。地道な交流と情報交換から始めるしかない。

上野俊之丞

山口保彦2018上野俊之丞のこと(その1) 山口保彦2018上野俊之丞のこと(その2) 山口保彦2018上野俊之丞のこと(その3) 真島秀行2008砲家秘函附録測量篇について