彭城百川筆
江戸中期
<長崎歴史文化博物館 絵(長崎)175>
オランダ人の男女と犬を描く。長崎市立博物館の旧蔵品で、これまで画者不詳とされていたが、落款「別号蓬洲」「彭真淵印」から、日本南画の祖の1人に数えられる彭城百川(1697-1752)の作と判断した。主題・形式から見て、いわゆる「万国人物図」の中からとくにオランダ人を取り上げ、軸装に仕立てたものか。画賛冒頭の「咬ロ留吧(カルパ)」は、当時オランダ東インド会社のアジアにおける本拠地であったバタヴィア(現ジャカルタ)の古名で、近世日本では同地をしばしばこのように呼んでいた。
なお西洋のグレゴリオ暦も、それが同地で用いられていたためカルパ暦と呼ばれることがあった。阿蘭陀通詞が作成した「咬ロ留吧暦和解」が複数現存しているが、たとえば長崎歴史文化博物館蔵本<写本1冊、渡辺15_9>は寛政4年(1792)の分で、東京大学附属図書館本<写本5冊、T30-172>は天明~文政期の分である。前者の和解には中山作三郎が、後者には中山のほか石橋助左衛門、馬場為八郎、石橋助十郎などがあたっている。とりわけ後者には天文方の山路弥左衛門や渋川助左衛門(景佑)が受け取った旨記す下げ札が残されており興味深いが、関東大震災に罹災したものか、焼け焦げた表紙が痛々しい。
いささか話が脱線したが、最後に画賛の全文を掲げると以下のとおり。
咬ロ留吧
一号ロ爪哇 国輒身毒
地熱海冥 珊瑚如旭
カルパ
一にジャワと号す 国すなわち身毒*
地熱く海冥し 珊瑚、旭の如し
*天竺(シュンガ朝)
0 件のコメント:
コメントを投稿