2011年2月20日日曜日

プルシアンブルー

ここ最近、プルシアンブルーが俄然盛り上がっている。おそらく現在確認される日本で最初の使用例がかの若冲だったことが判明したことや、「皇室の名宝―日本美の華」展(東京国立博物館、2009年)などの展覧会がきっかけとなったのではなかろうか。ついこの間までグーグルで検索してもほとんどヒットしなかったのが、今や各種報告、新聞記事、ブログなどなど、まさに百花繚乱で、まことに喜ばしい。

プルシアンブルーは、18世紀ヨーロッパで人工合成された青色顔料で、別名ベルリンブルー。同世紀中には江戸時代の日本に長崎経由で輸入・紹介され、「紺青」「ベロ」「ヘレンス」(ベルリンの訛)などの名で呼ばれ、はじめ洋風画に用いられたが、文政12年(1829)頃以降は、北斎や広重の浮世絵に多く用いられるなど、幅広く普及した。日本文化の象徴的存在として、もはや国際的にも広く知られる北斎・広重の「浮世絵の青」が、実は「西洋の青」であったという恐るべき事実に、日本人はもっと驚いてよい。

この西洋の青が、江戸時代の日本に与えた影響を長年追求してこられたのが神戸市立博物館学芸員の勝盛典子さんで、その成果は神戸市立博物館編『西洋の青-プルシアンブルーをめぐって』展覧会図録(神戸市立博物館、2007年)に集大成されている。そしてその勝盛さんの博士論文が、このほど『近世異国趣味美術の史的研究』として京都の臨川書店より上梓される。公立館の学芸員の長年にわたる地道な調査・研究が、このような形で成就することは、同じ業界人として快挙を通り越して事件であり、快哉の声を上げずにはいられない。

長崎に現存している、プルシアンブルーを用いた代表的な洋風画に、『鷹匠図』寛政3年(1791)頃 <長崎歴史文化博物館 A2ハ52>がある。これは長崎の絵師・若杉五十八(1759-1805)が、18世紀ドイツの銅版画家リーディンガーの作品を典拠として布地に描いた油彩画で、五十八の作品中もっとも油彩画の質感にあふれた傑作と言われる。科学的計測の結果、空の青は輸入顔料のプルシアンブルーを一面に用い、木の葉の緑もプルシアンブルーに黄色顔料を混ぜたものであることが判明している。






プルシアンブルーやウルトラマリンブルーなどの輸入顔料は、長崎会所を通じて輸入され、国内に流通した。村上家文書の『見帳』<長崎歴史文化博物館 17_83-2>には、その実物サンプルが塗り込められており、その流通経路の第一歩を現在に伝えている。









references

写本『油絵具秘法』について

紺青@wiki

◆早川泰弘・太田彩「伊藤若冲『動植綵絵』に見られる青色材料」『保存科学』第49号、2009年、131-137頁。

◆福井県文書館・収蔵資料展示アーカイブ
「唐藍(プルシアンブルー)製法、おしえます-鯖江藩大庄屋への手紙-」

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