2010年8月24日火曜日

写本『油絵具秘法』

最近『油絵具秘法』と題する一冊の写本を見る機会があった<長崎歴史文化博物館 絵画類(資料)7>。

これは市立博物館が昭和29年に購入したもので、それより先の由来は不明、著者も不明の写本である。ただ成立年代は、本文中に「弘化四年未[1847]四月廿七日 渡邉喜代次郎殿より承り」などと見えるから、それより遡ることはないだろう。

一見したところ、その内容は「洋風画制作マニュアル」とでも呼ぶべきもので、とりわけ画材に関する情報が詳しい。「阿蘭陀とNIPPON」展で取り上げたプルシアン・ブルー(ベレンス)についても触れている。すでに斯界に知られた資料かもしれないが、近世長崎の油彩画やガラス絵の制作にまつわる情報の宝庫であることは間違いないので、以下本文の翻刻を試みる。

[1オ]
油絵具之事
一、琉球朱 一、ヘレンス 一名紺青 一、石黄 一 雉黄 一、黄土
一、生ヲシロイ 一、ヘンカラ 一、ユエン
各大極上サイ□ツ油ニテ能々スリ用ル。口伝□□[アリヵ]

ツヤ油之事
一、ユコ油 一合  一、生ヲシロイ 一匁五分  一、鉛 一匁五分
右鉛サイマツニシ油ヲ煎、鉛、生ヲシロイ少ツヽ入レ、マナクマセ[ママ]、絵仕上ノ時此油ヲ紙ニテ引也。日ニホス時ハ鏡ノコトシ。  但紙仕立ノ法、先ニ記。

[1ウ]
紙地仕立之事
一、百田紙六枚程合、仕舞之節ヒメノリヲ能々引、日ニホシ、象牙カ茶碗ニテカ能々スル也。其上ニ生ヲシロイヲ油ニテトキ、右紙ニウルシハケニテムラナキ様ニヌル也。

絹地仕立之事
一、絹又ハ布ニテモ裏打二枚イタシ、生ヲシロイ塗方、紙仕立ニ同シ。
一、油絵道具、左ニ記。

[図1:筆] 此毛書拾本

[2オ]
[図2:ハケ] 此レウルシハケ

[図3, 4, 5: 乳棒・乳鉢] ニウホウユ  ニウホウ  ニウハチ

[2ウ]
[図6: ヘラ] 此竹ヘラ。絵具スリ上皿ニウツスニモチユ

[図7, 8: 皿] 絵具皿  同

一、総テヒイトロ板ニ書ニハ、先惣本山等ハ木・家・山地是ヲ先ニ書等シ、上海・水・雲・ソラトウ書也。
一、紙ニ書ニハ、先ニ海・水・雲・ソラヲ書等シ、上草・木・山・水・家・地[3オ]書也。人物ヲ書ニモ右順ス。
一、絵具付ノ筆ヲ洗ニハ、ユコ油ニテソヽキ、種油ニテ又々ソヽキ、其マヽヲケハ筆ヒル事ナシ。遺時油ヲヌクイ用ユ。
一、絵具トキ方、ウルシノゴトクス。

[図10: ガラス板] 凡四寸角斗 ヒイトロ板絵具請書時用ユ

[3ウ]
[図11: 不明] 此□ノ者一尺弐寸ヨリ 又六寸迄四枚斗

一、総テ人物・山水・花鳥共、陰ヒナタ第一心付書
一、人物・山水・花鳥□増認メ様、左ニ記。
一、本国絵、シヤカタラ絵書方、口伝絵具ハウスク遺ヲ第一トス。

[4オ]
蘭国学者ノ象

[図12: 西洋人男性彩色図] ニク色ハ人物ニ応シ書ヘシ。アラマシ如斯

[4ウ: 空白]

[5オ]
[図13: 西洋人女性線描]

[5ウ: 空白]

[6オ]
板地ニ画ヲ認心得之事
一、都而能程に湖粉ニ膠くわへ、群なきやうにぬり、干て後どふさすべし。其後画ヲ認書へし。尤木地の侭彩色の絵相認候ハヽ、彩色の所斗り右之湖粉膠ニてぬり、其後どふさして認べし。且又墨画相認候ハヽ、木地其侭直ニどふさして相認へし。急ニ書画ニても認候ハヽキブシを粉にしてするべし。墨の散をとむる也。

[6ウ: 空白]

[7オ]
珊瑚末拵様之事
一、焼明礬 壱匁
一、琉球朱 四分
  右何もかげん見合拵へし。尤朱ハ水[ ]して程よし

[7ウ]
三月廿七日頃
 |膠  弐百目
 |明礬 百六十目
 |水  八升

紙大唐紙六十枚、常唐紙十三枚
 右大唐紙ハ例ヨリモ膠・明礬多クスベシ

四月四日頃
 |膠  百六拾銭
 |明礬 百四十五銭
 |水  八升
 |紙  百五十五張

四月中浣
 |膠  百目
 |明礬 八十目
 |水  五升
 |紙  百張

[8オ]
 |膠  弐百目
 |明礬 百九十目
 |水  乙斗
 |紙  弐百張

 |水  壱升
 |膠  六匁
 |礬  四匁

 |紙  百六十張
 |水  八升五合
 |膠  百八十目
 |明礬 百五十目

 |水  壱升
 |膠  拾匁
 |礬  五匁

 |紙  百七拾張
 |水  九升
 |膠  百六十目
 |明礬 百四十五銭

[8ウ]
絵具秘法
  弘化四年未[1847]四月廿七日 渡邉喜代次郎殿より承り

一、藍色法
紅毛ベレンスを能細末にしてアラビヤゴムにて解つかふべし。尤棒にしても誠ニ大極上のあいろうよりも雲泥の相違ニて猶色甚妙ニ宜敷。
紅毛ベレンスは弐番がよろしく。ベレンスと云ハ阿蘭陀口ニて日本ニてハ紺青と云事也。但岩紺青とハ相違有もの也。

[9オ]
[貼紙1テキスト]
地下紙之しやう

|水  壱升
|膠  六匁
|明礬 四匁   諏方町 村上□郎うけたまわり申候

|水  壱升
|膠  拾匁
|明礬 五匁   岩原御用達にきゝ申候

[貼紙2表面テキスト]
三月廿七日 膠  弐百目
      明礬 百六十目
      水  八升

紙大唐紙六十枚 常唐紙十三枚
 右大唐紙ハ例ヨリモ膠・礬多クスベシ

夏四月中浣 膠  百目
      礬  八拾目
      水  五升
      紙  百張

四月四日  膠  百六十銭
      礬  百四十五銭
      水  八升
      紙  百五十五張

[貼紙2裏面テキスト]
紙  弐百張
水  乙斗
膠  弐佰目
礬  百九十目
紙  百六十枚
水  八升五合
膠  百八十目
礬  百五十目
紙  百七十張
水  九升
膠  百六十目
礬  百四十五銭

[以下略]

1 件のコメント:

  1. ども、ご無沙汰してます。ミョンスです。

    この史料、おもしろいですね。
    僕の写本「蘭法油絵々具調合法」との関連性も調べたいところです。
    http://myungsoo.blog106.fc2.com/blog-entry-8.html

    この分野と言えば、K市博のKさんの著書を楽しみにしているのですが、まだ出版されていないようですね。

    何とか仕事をやり繰りして、近々また長崎に行きますのでよろしくです。

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