2011年10月17日月曜日

展覧会など-2011年9~10月、熊本

2011.9.21
①「富重写真所開業145周年記念展 百年の熊本」@熊本県伝統工芸館

公式HPより:熊本市の冨重写真所は、日本で最初の写真師である長崎の上野彦馬のもとで修行した冨重利平により、慶応2年(1866)に開業されました。本年はその開業145年を迎えます。この冨重写真所は、平成18年国の登録有形文化財(建造物)に指定され、現在もそのままの形で現役の写真所として続けられています。
 日本に写真術が渡来したのは、幕末の嘉永元年(1848)のことでした。以来、日本人は写真術の導入と実用化に努め、しばらくの試行の後、欧米諸国と同様に写真を使いこなすようになりました。幕末の開国以後、我が国は西洋の科学技術や制度を受け入れ、政治的、社会的、また文化的に、大きな発展を遂げてきましたが、写真はその中で発達するとともに、視覚的なメディアとして社会に大きな影響を与えてきました。これら当時最先端の写真技術はもちろん熊本の冨重写真所でも駆使され、当時の写真機や熊本の風景、そこに息づいた人々の様子がうかがえる写真が撮影され、現在も大切に保管されています。
 今回の展覧会では、これらの資料に基づき、明治・大正・昭和の時代の熊本城や港、街並み、歴史的建造物、当時のファッションを身にまとった人々など、熊本で暮らした人々の息づかいや近代化していく熊本の様子を感じていただく機会にしたいと考えます。

業界では有名な富重写真所の記念展。写真はどれも新しく見える。
成立年はモノとしてではなく、撮影対象を基準にしているのかもしれない。
「マンスフェルトと医学校写真」を熟覧し、キャプションのメモを
とる。


②「細川家の絵師たち 江戸絵画の精華」@熊本県立美術館
「瀟湘八景」という画題には興味がある。
また博物学関係の和本「艸木生うつし」(1758-1761)永青文庫蔵と、6代重賢「群禽之図」(1761-75)、同蔵は興味深い。以前東京の永青文庫や東博の細川家展でも同種の博物学史料を見た。
「珍禽奇獣図」18世紀所収の千年土龍(森祖仙)のタヌキ図。森は細川家ゆかりなのだろう。

2011.10.14
「宮崎家と革命の志士たち―未公開史料展」@宮崎兄弟資料館

01.黄興書「春水満四澤…」 荒尾市田中和彦氏蔵 1830x700 掛福
陶淵明『四時詩』「春水満四澤 夏雲多奇峰 秋月揚明暉 冬嶺秀孤松」

02.孫文書「大塊文章」 大牟田市・荒木登志男氏蔵 1250x435 扁額(本紙・橙色)
東京の定宿「玉名館」の宇佐音来彦に贈ったもの
cf. 新藤東洋男「宇佐穏来彦と勝海舟・宮崎滔天-大陸浪人誕生の一類型」

03.宮崎滔天書「喜観」 福岡市・島村英治氏蔵 扁額
落款「宮崎/寅蔵」方・陽・朱

04.宮崎八郎書簡 明治3年11月東京より 館蔵
高瀬公と長崎見物、凌雲丸 協力:玉名市立博物館こころピア

05.宮崎民蔵書簡(宮崎美以宛) 7月27日付 上海虹口勝田旅館(上海のたまり場)より 館蔵
入江方にいる亀井に会う。三村君と帰郷のつもり

06.宮崎滔天書簡(民蔵宛) 10月18日付 館蔵
菊池良一が載(戴ヵ)公に話し、載公より直接ドクター(孫文)に伝達云々。姚尺君につき。寺尾の手を経てドクターに? 頭山は「頭節」。長崎鈴木(天眼)宛の手紙につき

07.民蔵書簡(留茂・諠子宛賀状) 荒尾市図書館・宮崎英民文書77
昭和元頃

08.滔天の宮崎九郎宛 同文書78 (大正9年)12月10日付

09.龍介 の宮崎九郎宛 同文書78 (昭和18年)1月

10.滔天の衆議院議員立候補宣言状 荒尾市・米村一幸氏蔵

11.滔天の衆議院議員立候補推薦状 荒尾市・米村一幸氏蔵
米村初太郎宛。犬養・頭山他4名連名

12.宮崎虎蔵書簡(幼馴染の島村又蔵宛) 寄託(福岡県島村英治氏蔵)
巻子装。(大正8年?)3月1日投函

常設展
01.革命同志の寄書き 額装 本紙1000x40程度

02.孫文書「博愛行仁」 扁額

03.黄興書「達観」 扁額

04.黄興書 不日清朝打倒の七律 掛福

05.章炳麟書 革命評論社へ贈った一幅 掛福

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