2014年12月4日木曜日

展覧会など20~23―2014年11月

20<南蛮美術展>@南蛮文化館 11/1
21<信長からの手紙(前期)>@熊本県立美術館 11/3
22<生誕300年 矢野雪叟-雪舟への回帰―>@同上 11/3
23<常設展示・細川家の名品 併設展・加藤清正所用の蒔絵調度>@同上 11/3 

20回目のルミナリエ

20回目の神戸ルミナリエが始まったという。来月には、阪神・淡路大震災から20年ということか。

あの時、大学2年生で、神戸で1人暮らしをしていた。被害が最も甚大だった地域からはやや離れていたが、それでもさまざまな意味で忘れられない震災体験をした。

自宅の被害は大したことはなかったが、しばらくのあいだ電気、ガス、水が止まった。町中のコンビニやスーパーだけでなく、自動販売機も利用できなくなった。食事、トイレ、風呂など、日々の日常が、突然日常ではなくなり、あたりまえのことが、実はあたりまえではないのだということを思い知らされた。

多くの友人・知人が連絡不能になったので、震災直後からバイクで小中学校などの避難所を頻繁におとずれ、彼らの消息をさぐったり、見つけたら安全な場所に移動するなどの手助けをした。震災直後は混乱を極め、道路はどこにいっても大渋滞だったので、バイクは重宝した。

被害者とも、第三者ともつかない視点で、被害が甚大な地域をあちこち渡り歩いたが、そこで目にした多くの光景は言語に尽くし難いものがあった。今でも神戸を訪れると、その景色が脳裏に鮮明によみがえる。そして現在の街並みとの間のギャップに、強烈な目眩を覚える。おそらくこの感覚はずっと消えないだろう。

今思えば、科学とか、人間とかいったものについて、あれこれ考えるようになったのは、あの体験が大きかったのかもしれない。

堀田仁助

 明和2年(1765)9月20日付で「堀田兵之助」が渋川図書光洪宛に提出した、天文暦術の誓約書が現存する。これは津和野藩士の堀田仁助(1745-1829、通称ははじめ兵之助、号は泉尹)のことだろう。堀田は天明3年(1783)に幕府天文方属員となり、寛政改暦にも参加し、また地理学・...