「…万屋町には、小林謙貞という天文学、数学史上に重要な位置を占める人も住まっていた。
謙貞は林吉右衛門について天文、地理、星宿、暦法を修めた。この吉右衛門は、刊本長崎先民像[ママ]には吉左衛門に作ってあるが、稿本長崎先民像[ママ]には吉右衛門に作ってある。これを明らかにされたのは古賀先生であって、今日では吉右衛門が正しいとされているが、これは古賀先生の功である。
謙貞は二儀略説を著した。この書は内閣文庫にあって、わたしがこの書の存する事を知ったのは薮内清博士の示教によるが、これの写本は今井湊[ママ]さんの好意によって書架に加えることが出来た。」
出典:渡辺庫輔「長崎町づくし(105):郷土史の参考に 残っている若松[ママ]家系図」(長崎新聞、昭和37年7月7日付)
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