2024年5月28日火曜日

小林謙貞のその後

1.古賀『長崎洋学史』上、天文、244頁に「糸屋氏は、小林氏の親族であったらしい」と言っている。「小林謙貞伝」には盛り込めなかったが(注37に盛り込むべきか)、古賀がそういうなら、何か典拠があるのだろう。

2.晧台寺墓の最上段の糸屋家墓地に「みつかわ」銘の墓碑があった。元禄期の万屋町水帳にも「みつかわ」あった。『村山東庵とその一族』にも、みつかわが、村山氏と関係があったことも書いてあったはず。

3.樋口権右衛門の免許状については、林鶴一『和算研究集録』をとっかかりにするのがよいかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿

堀田仁助

 明和2年(1765)9月20日付で「堀田兵之助」が渋川図書光洪宛に提出した、天文暦術の誓約書が現存する。これは津和野藩士の堀田仁助(1745-1829、通称ははじめ兵之助、号は泉尹)のことだろう。堀田は天明3年(1783)に幕府天文方属員となり、寛政改暦にも参加し、また地理学・...