2024年5月10日金曜日

デザイン論法

1603・4年イエズス会日本年報(報告集第Ⅰ期第4巻、277頁) 

 ここに、日本の高貴できわめて古い家系の異教徒の若者がいた。彼はかつて太閤様の小姓を務め、現在は福島(正則)殿に仕えており、彼の一寵臣の嗣子である。この男は禅宗に属し、その宗派の仏僧たちは多額の金を支払う何人かの人たちに或る種の黙想(坐禅)をさせる習わしだが、(仏僧らは)彼にもそれを行なわせた。その黙想は、救済はなく、我々に見えている肉体的なこれらすべてのものには外見的なもの以外には真の存在はないと要約される。つまり、万物はこの現在の生をもって終るということである。そして、生来、この若者は才能に優れ雄弁なので、友人のキリシタンの兵士たちとつねに大論争を交わしていた。

 ついに、或る時、他の二人のキリシタンといっしょにこの城のある場所を見張ることになった際に、論戦はすさまじいものとなり、嗄声になるまで一晩中をそれに費やし、最後に、説教を聞きに来い、そうすればどんなに誤っているかが判るであろうということになった。彼は、彼らの言うことに同意して聞きに来たが、それは、改宗するよりも論争したいと思ったからである。このようにして、初回の説教では、物凄い怒鳴り声をあげ、ひどくしつこく言い張ったので、説教している広間では彼のせいで話し声が聞こえぬほどであった。

 二回目には、天と地と万物の創造者が存在することを証明した根拠の有効性を見て、若干穏やかであった。そのため、その後、聞いたことを一人だけで考察し始めた。そして、自然の光が教えることにすべてがかなっていることを見出し、空が澄みわたり清朗な或る夜、月と星を長い間注意深く眺め、それらがいとも規則的な歩みで運行し、少しずつ西に近づき、ついに若干の星が地平線の下に沈むことに気づいた。そして、このことから、この世の秩序と調和に思いを巡らしていった。こういうわけで、デウスの恩恵をもって次のように結論した。これらすべては万物のあの第一原因、(すなわち)キリシタンの教えがデウスと呼んでいるものの明白な作用以外の何物でもありえない。したがってただ(この教え)のみが真実であり、仏僧たちから学んだすべてはまったくの誤りと見せかけである、と。

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