序
譬へてみればこれは水盤の底に列んだ雨花臺の砂利みたいなものである。在るものは十年餘も喰ひ下つた問題もあるが、中には一、二日で纏め上げたものもあり、玉石混淆、玉と云つてもメナウ位に過ぎなく、はづかしい次第である。
もし少しでも見處があるとしたら、それは清水の御蔭で、出版に當つて藪内[清]、水野[清一]兩先生初め東方文化研究所の諸先生方の御援助の賜物である。東方學術協會の叢誌として刊行されることになつたことは誠に身にあまる光榮である。
とは云へ、筆者個人の主觀からすれば、この十數年間に書き綴つた戀文集でもある譯で、中國に對するひたむきな愛を現してゐる。筆者はこの空白な十年間、上海で此様な事に夢中になついてゐた譯で、何となく樂しく又何となく無責任な様で氣の引ける事である。
しかし現在總べては過去の思ひ出となつて了つた。江南の四月、ウィルドの經緯儀にとまつたカササギも、測地テープでおひまはした黄蝶も、暖かつた背中の太陽の温度も、今は實は夢だつたのか、現だつたのか疑はれる。
再びあれらの日々は歸つてくるだらうか。いまいましい現實には少しの保證も見出されない。唯だ上海で多數の歸化者を出してゐるといふ新聞記事に、何か或るチヤンスをいつした様な、或るウラヤマしさを病牀で感じ涙ぐむのみである。
しかし、自分はこれ等の過去をのり越えなければならない。實現するかどうかは別としても、再び踏む中國への旅行準備を始めなければならない。
終りに特別の厚意を賜つた和風書院主濱地藤太郎氏及び東方文化研究所の能田先生に深く感謝する。
昭和二十一年一月十八日 著 者 識
(今井溱『中国物理雑識』全国書房、1946年、序)
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