「夫天文家ニ数家アリト雖モ、其ノ要領トスル処、今コレヲ分ツテ二家トス。一ツニハ命理、二ツニハ形気ナリ」
「麻田家ノ天学ハ形気ノ天文一法ニシテ、命理至妙ノ事ハ儒門ニアツケ、『天経或問』等ノ義モ強テ論セス、タヽ推歩実測ニ鍛錬シテ其実験ヲ謂テ、憶説ヲ語ラス、器物ヲ製シテ天ヲ窺ヒ、太陽ノ表ニ黒子ノ旋転アルコトヲ知リ」
「形気ノ天学ハ、往古将来ヲ推歩シ、七曜二十八宿恒星等ノ度分ヲ測リ暦数ニ詳ク、而露霜雪ノ然ル所ヲ忽ニスルモノ也」。
「(麻田家の)其法モトヨリ授時・貞享ノ二暦ニヨラス、専ラ西洋新法ヲ主トシテ近来渡リシ崇禎暦・暦象考成ノ法ニ本ツキ」
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堀田仁助
明和2年(1765)9月20日付で「堀田兵之助」が渋川図書光洪宛に提出した、天文暦術の誓約書が現存する。これは津和野藩士の堀田仁助(1745-1829、通称ははじめ兵之助、号は泉尹)のことだろう。堀田は天明3年(1783)に幕府天文方属員となり、寛政改暦にも参加し、また地理学・...
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[舟橋秀賢]筆 『慶長六年具注暦』京都大学附属図書館 6-04/ケ/1貴 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00008026
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「…万屋町には、小林謙貞という天文学、数学史上に重要な位置を占める人も住まっていた。 謙貞は林吉右衛門について天文、地理、星宿、暦法を修めた。この吉右衛門は、刊本長崎先民像[ママ]には吉左衛門に作ってあるが、稿本長崎先民像[ママ]には吉右衛門に作ってある。これを明らかにされたの...
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ここ半年間、このブログにいろいろ書いてきたが、専門である16-17世紀の日欧知識交流について、ほとんど何も書いていないことに気が付いたので、井上筑後守にまつわる先行研究をまとめてみる。 16世紀に始まる日欧知識交流の歴史の中で、幕府大目付・井上筑後守政重(清兵衛尉、号は幽山 15...
「形気ノ天学ハ、往古将来ヲ推歩し、七曜二十八宿恒星等ノ度分ヲ測リ暦数ニ詳ク、而露霜雪ノ然ル所ヲ忽ニスルモノ也」の「忽ニスル」は、気にとめない、気にとめずにほうっておく、という意味だろう。川和田2003、55頁は、この一文を解釈して、「18世紀末の天文暦学者たちは計測による数学的な現実の認識を根拠として、過去と未来を把握し、気象の理論も明らかに出来ると考え始めていたことがわかり、合理・実証主義の高揚を読み取ることができる」と述べるが、ここではその逆に、気象の理論は形氣の天学者の仕事ではない、と言っているのではなかろうか。川和田晶子「加賀・越中に伝わった天文暦学-西村遠里と麻田流天文暦学」『科学史研究』第2期、第42号(通巻225号)、2003年。
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