我、十歳にみたざりし内より大に疑団を蓄へき。其疑団と云ふは、我、此如(かくのごとく)生れ来るにどふ云ふ処より来る〔も〕、どふ云ふ処にゆくとも、生れ〔る〕さきの前への前へも手とゞかず、死して後の後も手とゞかず、天のはてをどこをかぎり、地のそこをどこをかぎり、かぎりをおけば其外(そと)出来、一向つまらぬよふになり、さてこふ思ふ心もどふして出来たとも、どふして消ゆるとも、雲がどふして出来るとも、目がなに故見ゆるやら、耳がなに故きこゆるやら、思へば思ふ程がてんゆかずなり。子共(こども)心に心ぼそくなりていこふ心苦しかりき。
人のくせに、雷の鳴り地震(ナイ)のふるにあへば不思議なりといへども、我心には鳴もふしぎ、其鳴らざるのもきこへず、地のうごくも不思議、地のうごかざるもきこへず。たとへば「火はなに故にあつきぞ、水はなに故つめたきぞ」といへば、人は、「火、陽なるによりてあつし、水、陰なるによりてつめたし」と云。我心にはなに故に陽なる者はあつきぞ、陰なる者はつめたきぞと思へば、其陰陽と云者もきこへずなり。たとへば扇子を手に持ちて手をはなてば下にをつるを、「なに故に下におつるぞ、うへと東西南北とには何故にをちぬぞ」と人にとへば、「脇にはゆかぬ筈、下にはをつる筈じや」と云。そこで我が思ふには、筈と云にかくれば、動く者はをつる筈、目は見る筈、耳は聞ゆる筈、雷は鳴る筈、地震はうごく筈と、筈を掛(かけ)てこしらゆれば悉皆聞こゑぬ事もなし。されども其筈と云者が気にかゝり、ねれば何故ねいるといふ筈あるぞと、此筈に屈たくしうつら〳〵と年を累(かさ)ねぬ。
それより程なふ書物など読ならい、色々考へて見ても、故人の学問も皆筈からうへのせんぎにて、筈はづしたる説も見ず。半上落下の境界にて三十迄打すぎたり。三十の年、始て天地は気なりと心つきたり。それより天地に条理と云者有事を見付たり。気と云事も故人もいゝ、条理と云事故人も云たれば、珍敷事にもあらぬよふなれども、大に其境異なりて、我心には先達一人も此境には見て到る人はいまだあらずと思ふは、我固鄙にも有にや。(下略)
尾形純男・島田虔次編注訳『三浦梅園自然哲学論集』岩波書店、1998年、309-310頁。
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