2010年8月12日木曜日

長崎広瀬外科道具価格目録


嘉永2年(1849)
<長崎歴史文化博物館 医学5>

幕末に江戸本町三丁目の「いわしや五兵衛」が販売していた医学器具の価格目録である。冠に「長崎広瀬」とあるように、その由来は長崎、ひいてはオランダにあると示唆されている。当時医学器具を販売するにあたって、長崎という言葉は一種のブランド効果を持っていたのであろう。「柄付メス」「真鍮筒入銀カテヱテル」「キリステル(浣腸器)」の名などが見える。

0 件のコメント:

コメントを投稿

堀田仁助

 明和2年(1765)9月20日付で「堀田兵之助」が渋川図書光洪宛に提出した、天文暦術の誓約書が現存する。これは津和野藩士の堀田仁助(1745-1829、通称ははじめ兵之助、号は泉尹)のことだろう。堀田は天明3年(1783)に幕府天文方属員となり、寛政改暦にも参加し、また地理学・...