2010年8月13日金曜日

薬商看板(金紅丹)


販売所:今鍛冶屋町(現・鍛冶屋町)丸屋市郎治
江戸後期~近代 104x50x5cm
<長崎歴史文化博物館 医学11>

金紅丹は万病解毒薬とされるもので、江戸時代は全国に流通した。本家調合所は奈良吉野の堀内三席。長崎では今鍛冶屋町の丸屋市郎治が販売していた。3本足のガマがトレードマークで、あらゆる病に効果がある薬として宣伝された。


同じく長崎歴史文化博物館収蔵の引札「金紅丹効能書」<医学10>はその効能について詳しい。曰く、この薬は万病解毒の薬で、めまい・さしこみ・腹痛など一切の急病を救う。続けて飲めば胃を強くし、女性の産後にも非常によい。外用すれば傷や火傷を癒して痛みを止め、蛇・魚・虫などの毒を消して腫れを散らす神丹である、などなど。

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