2019年12月30日月曜日

2019年の仕事

今年はひたすら波瀾万丈の忘れられない1年になりました。今年が終わるのが信じられないほどです。あいかわらず自分の居場所、自分の学問を見つけようともがく毎日ですが、どなたさまもよいお年を迎えられますよう、お祈りもうしあげます。

《共編》
TAKEDA Tokimasa and HIRAOKA Ryuji ed., “Special Issue: East‒West Contacts and Scientific Culture in Early Modern East Asia, Historia scientiarum 29, no. 1 (September 2019): pp. 1-135. [日本科学史学会欧文誌の近世東アジア科学史特集号。収録論文5篇]

《論文》
HIRAOKA Ryuji, “Deciphering Aristotle with Chinese Medical Cosmology: Nanban Unkiron and the Reception of Jesuit Cosmology in 17th-Century Nagasaki” in Bill Mak and Eric Huntington (eds.), Overlapping cosmologies in Asia. (accepted) (査読あり)

HIRAOKA Ryuji, “Jesuits and Western Clock in Japan’s ‘Christian Century’ (1549-c.1650)”, Journal of Jesuit Studies 7, no. 2. (in printing) (査読あり)

HIRAOKA Ryuji, “Printed Editions and Manuscripts of Tianjing Huowen”, Historia scientiarum 29, no. 1 (September 2019): pp. 80-111.  (査読あり)

平岡隆二・クリストファーカレン「ジュネーブ天儀:17 世紀日本の天文模型」、『洋学:洋学史学会研究年報』第26号、2019年5月、49-78頁。(査読あり)

平岡隆二「『天経或問』の刊本と写本」、『科学史研究』第Ⅲ期第58巻No.289、2019年4月、2-21頁。(査読あり)

平岡隆二「アリストテレスを運気論で読み解く-『南蛮運気論』と17 世紀長崎における西学理解-」、武田時昌・麥文彪編『天と地の科学−東と西の出会い』、京都大学人文科学研究所、2019年2月、396-407頁。(分担執筆)

Christopher Cullen and HIRAOKA Ryuji, "The Geneva Sphere: An Astronomical Model from 17th Century Japan", Technology and Culture 60, no. 1 (January 2019): 219-251.  (査読あり)
  1. DOI: 10.1353/tech.2019.0007

《学会発表》
平岡隆二「キリシタンと和時計」、日本科学史学会京都支部例会、京都大学、2019年10月5日。

HIRAOKA Ryuji, "The Crossroad of Jap. Sin. Missions: Historical Materials in Nagasaki," Guest lecture in the "Nagasaki Historical Tour: A Prelude to the International Workshop" by an invitation from the Ricci Institute, University of San Francisco, at Nagasaki Museum of History and Culture, 2019 Sep. 28. (招待発表)

HIRAOKA Ryuji, "The historiography of the Jesuits and Western science in Japan," 15th International Conference on the Histoy of Science in East Asia 2019, Chonbuk National University, Jeonju, Republic of Korea, 2019 Aug 21.

HIRAOKA Ryuji, "Cosmological Interests in 17th Century China and Japan: The Case of You Yi 游藝’s Tianjing huowen 天経或問", International conference: Science, Western Learning and Confucianism -Commemorating the 390th Anniversary of the Compilation of the Chongzheng-Reign Treatises on Calendrical Astronomy-, University of Science and Technology of China, Hefei, China, 2019 April 30. (招待発表)

2019年11月23日土曜日

龍頭龍尾の蝕の図

An Illustrated Astronomical Treatise by Mahmud ibn Muhammad al-Jaghmini, Ayathulugh (Ayasoluk), Anatolia, dated 17 Jumada al-awwal 785 (18 July 1383),
The Khalili Collection, MSS 1164, 20a.

https://www.khalilicollections.org/collections/islamic-art/khalili-collection-islamic-art-illustrated-astronomical-treatise-by-mahmud-ibn-muhammad-al-jaghmini-mss1164/


A manuscript of al-Mulakhkhas fi al-hay'ah written in Arabic by al-Jaghmini (from a private collection).

https://en.wikipedia.org/wiki/Jaghmini#/media/File:Jaghmini_manuscript.jpg


Christophus Clavius, In sphaeram Ioannis de Sacrobosco commentarius [..]. Roma, 1581, p. 430.


『二儀略説』稲垣本、中巻、6a

「扨日月ノ蝕ハ二様アリ。一者皆既ノ蝕。是日月龍頭・龍尾ニシテ二心同線ナル時ノ蝕也。二者半蝕。是ハ月輪龍頭・龍尾ヲ少シハツレテノ蝕也。依之皆既ノ蝕ハ稀ニシテ半蝕ハ多キ也。此等ノ義、図ニテ可知也。」


「二十八都市万国絵図(万国絵図屏風)」、宮内庁三の丸尚蔵館。



2019年11月20日水曜日

「通航一覧」全文検索

東京大学史料編纂所 データベース検索から入り、「データベース選択画面」→「近世編年データベース」→「項目検索」→「史料区分」から「通航一覧」を選択して検索

2019年9月5日木曜日

暦算全書の舶載

ウェブ展示「長崎聖堂の世界 ver 1.0」をまとめているときに、『暦算全書』舶載にまつわる記録がいくつか出てきたので、気になってはいたが、その後放置していた。月末に聖堂文庫にまつわる英語のレクチャーを長崎ですることになり、その準備をしていたら思い出したので、備忘のため記しておく。

『暦算全書』は、清朝を代表する数学者・天文学者である梅文鼎(ばいぶんてい、1633-1721)の著作約30種からなる天文暦算学の全集で、当時の東アジア数理科学に大きな影響を及ぼした。同書が日本にはじめて渡来したのは享保11年(1726)で、まもなく徳川吉宗の命により中根元圭が訓点本をつくっている。渡来した版本の現物(雍正二年封面板)が国立公文書館内閣文庫に、中根の訓点付写本が宮内庁書陵部に、それぞれ現存している。詳しくは小林龍彦先生のこの論考を参照。

その渡来について、「商船載来書目」(国会図書館)には「享保十一年丙午年[...]一暦算全書 一部四套」(大庭脩『江戸時代における唐船持渡書の研究』、687頁)と見え、また「[唐書目録]享保十一年午七番船舶載」(長崎歴史文化博物館聖堂文庫370-2)にも「同七番[船]/暦算全書 三十二本七十一巻/兼済堂纂刻梅勿菴先生暦算全書総目」と記して、総目の写しを控えている。

おもしろいのが聖堂文庫340-7「[唐船主寄附控](断簡)」に、「享保十一年午七番船/南京船主 丁益謙ヨリ寄附/暦算全書 一部 四套」と見え、それが丁益謙なる南京船主の寄附と明記することである。さらに長崎聖堂六代祭酒の向井斎宮が記した『向井家由緒書』(江戸中期、長崎歴史文化博物館福田13_166)の向井文平の項にも、

一享保十一午年 聖堂江唐船ゟ暦算全書与申書
 寄附仕候。新渡之書ニ付養祖父文平相伺献上仕候処
 御銀五枚拝領仕候。

のようにやはり寄附として扱われ、新渡りのため伺いを出して献上したところ銀五枚を拝領したと記す。

この寄附は、いったいどのような判断や背景でおこなわれたのだろう。

2019年8月5日月曜日

広告4

西川正休『大略天学名目鈔』(游藝著・西川正休訓点『天経或問』附録巻)
[奥付:天経或問注解 享保十五年十一月刻、寛政六年校訂。大阪書坊 山口又一・泉本八兵衛]
〈崇高堂蔵板目録 大阪心斎橋筋南久寶寺町 河内屋八兵衛〉

天工開物
明 宋應星著 稲麻衣食陶冶舟車金玉ノ類、其産物製造ノ秘ヲ詳明ニス
九冊

循環暦
小泉松卓著 授時暦ヲ委ク注解シ士農工商ノ作業及ヒ
願望等日取方角ノ吉凶ヲ暦ニヨリテコレヲ正ス
五冊

 

2019年8月3日土曜日

広告3

西川正休『大略天学名目鈔』(游藝著・西川正休訓点『天経或問』附録巻)
[奥付:天経或問注解 享保十五年十一月刻、寛政六年校訂。大阪書坊 山口又一・泉本八兵衛]
〈浪速書舗 田中宗榮堂蔵版目録 大坂心斎橋通安堂寺町南江入 秋田屋太右衛門〉

天地或問珍 二冊
日月、風雨、雷震、鬼門、方位、或ハ地獄、極楽の説。高山、深谷、竜宮。又ハ月の桂、邯鄲の愛、人の生死、其外天地の間にありてわけのしれがたき事、名ありて形なき事、抔を合点のゆくやうに書顕ハしたる事なれハ、老翁増識をまたずして物知りにならるゝ。雅俗を論ゼず。閲して益あるの書なり。


2019年7月31日水曜日

広告2

西村遠里『天学指要』四巻
[奥付:寛政五年、須原屋新兵衛、村上勘兵衛、加賀谷善蔵、本屋又兵衛]
〈文金堂製本目録 大阪心斎橋通唐物町〉

天学指要 西村遠里著 四冊
片かなにて天文の奥旨を分り易きやうに委くしるす


2019年7月25日木曜日

広告1

西村遠里『天文俗談』巻三、見返し
[端本により奥付不明]

天地惑門珍 全一[二?]冊
天地、日月、風雨、雷雪より、地震、狐火、ろくろ首、其外世にありて合点のゆかざる事を委しくわけをしるしたる本也。■月ならバ月の光るわけ 〇水の精といふ事 〇月蝕 〇月桂の由来 〇名月等のわけ迄、委しく記す。余ハ■じてしるべし。


2019年7月5日金曜日

シンポジウム報告記:「『長崎口』の形成 15~19世紀の長崎から見た日本列島の国家形成と対外関係」


2019年6月29日(土)に長崎歴史文化博物館ホールで標記シンポジウムが開催されました。わたしが司会を担当したのと、全体の準備・運営にかかわった立場から、備忘的に報告をまとめておきます。

本シンポは、松方冬子さん(東京大学)の呼びかけに応じた研究者21人が長崎に集い、鹿島学術振興財団からの助成と、地元長崎市の長崎学研究所の協力のもと行われました。当日は、全国各地の研究者らや、長崎県内の研究者・大学関係者、各自治体の学芸員、また長崎史談会や博物館ボランティア、歴史愛好家の方々など、分野を問わず多くの関係者が会場に詰め掛け、ほぼ満席(参加者計132名)という盛況でした。

はじめに松方さんが、本シンポの趣旨を語ったあと、「『海の道』から『口』へ―長崎を素材に―」というテーマで報告されました。いわゆる「四つの口」にまつわる研究史を概観したあと、長崎口の形成過程とその後の展開について批判的に検証し、とくにその形成に幕府側の治者のみならず、長崎奉行や代官など長崎の関係者が一定の役割を果たした可能性が示されました。また後代においても、従来の長崎口の概念におさまりきらない事例が複数示され、今後の研究においては、長崎から「口」の内外や世界を見る、という視点が重要であると指摘されました。

続く橋本雄さん(北海道大学)の報告「五島から寧波へ―中世の大洋路―」では、中世東シナ海のハイウェイである「大洋路」について、博多・平戸・五島や、舟山・寧波にまつわる史料や史跡、さらには済州島や南島路とのかかわりなどが詳しくとりあげられ、長崎口形成以前の航路と交流の実態が示されました。とりわけ、中世の博多は中国経済圏に包摂されていたという見方もできるという指摘は、国内の視点だけでは「口」の実態は見えてこないことを示唆するもので、本シンポにとって重要な指摘でした。

お昼休憩をはさんだ第3報告、織田毅さん(シーボルト記念館)の「長崎の通詞」では、阿蘭陀通詞が、役人でもありかつ商人でもあるという二つの顔を持っていたことが、通詞の借財や副業、またいわゆる「立入(たちいり)」の事例をもとに示されました。橋本さんの報告が、「口」の成立以前から長崎を見る視座を示したのに対して、織田さんの報告は「口」に生きたひとびとの赤裸々な生き様をあつかうもので、史料に基づいた緻密な分析だけでなく、ユーモアあふれる軽妙な語りでも会場を魅了し、報告後の質疑も大いに盛り上がりました。

第4報告者の村尾進さん(天理大学)による「『広東体制』-『長崎口』との連関・比較」では、18世紀半ばの広東で成立したいわゆる「広東システム」が、長崎口のキリスト教禁教・外国商人管理体制を参考にしつつ形成されたという驚くべき事実が、綿密な史料考証に基づいて示されました。その詳細は村尾さんのこの論文にすでに示されていますが、本報告ではそのシステムの背後にあったと考えられる中国人の認識構造や、清朝統治の正当性の問題、などの論点も示されました。これらの問いかけに、長崎の立場から応答することが大きな宿題として残されましたが、広東・長崎という二つの「口」の連関をめぐる越境的な議論は、本シンポのハイライトだったと言えるでしょう。

吉村雅美さん(日本女子大学)による第5報告「貿易の記憶と記録―平戸から見た長崎・五島―」では、かつての「口」だった平戸が分析の俎上に載せられました。興味深いことに、オランダ商館移転後の平戸藩・町人は、幕府の対外政策に対応しながら、かつての貿易の「記憶」を「記録」として編纂しつつ、家や地域のアイデンティティを形成しており(吉村さんのこの著書参照)、さらに近代にはその記憶が、「鎖国」批判と南進論に利用されたことが示されました。史実追求の観点からすれば「虚構」とみなされかねないそれらの史料を丹念に読み解くことで、近世・近代平戸のアイデンティティ形成をあぶり出してゆく見事な手法は、「口」をめぐる研究の新たな可能性と方向性を示すものでした。

最後の報告者、海原亮さん(住友史料館)の「長崎に銅を送る-大坂からみた長崎-」は、長崎口の最重要輸出品目の一つだった銅に着目し、とくに18世紀前半の大坂から長崎への廻銅にまつわる多くの新知見が明らかにされました。長崎に銅を送るための精緻なシステムが構築・運用されていたということは、それを受け取る「口」の外側、すなわちオランダや中国側にも、その種のシステムがあったことを強く示唆するものです。本報告がもたらす知見は、そうした外側との比較研究を押し進めてゆくためにも、意義深いものとなるでしょう。

以上の報告をうけて行われた総合討論は、それぞれの史料や論点をさらに深めたり、結び付けたりする質問やコメントが相次いで飛び出す、実り豊かなものとなりました。その応酬を通じて強く感じたのは、本シンポのもっとも重要な意義は、近い専門領域を持ちながら、実際には重複していない報告者らがそれぞれの立場から問題を提起し、議論を交わしたことにあったのではないか、ということです。そうすることで、たしかな専門性に立脚しながら、多角的な視野からの討論が可能になったと思います。おもに司会の力量不足から、提示された論点同士をうまく結びつけきれなかった反省はありますが、討論を参加者全員が楽しんでいる自由な雰囲気が感じられましたし、終了時刻を超過してもまだまだ議論は尽きないようでした。

もう一つ実感されたのは、長崎口にまつわる今後の研究は、「口」とその内側(日本国内)のみならず、外側についての十分な理解のうえに進められるべきで、そのためには、外側を専門とする研究者との連携が必須である、ということです。本シンポには、中国のみならず、朝鮮、ロシア、イタリアの専門家らも参加しており、長崎口研究について多くの貴重な意見や示唆をもらうことができました。彼ら/彼女らとの連携は、他の三つの「口」や、「口」同士の連関・比較研究を進めていくうえで、なくてはならないものとなるでしょう。そうした分野横断的な対話を重ねてゆくことによってわれわれははじめて、より豊かで、多くの人に開かれた対外関係史を描くことができるようになるのではないでしょうか。

最後に、シンポ開催と翌日の巡見にご協力頂いた長崎学研究所の赤瀬浩さんと藤本健太郎さんに深く感謝申し上げます。とくに藤本さんと、織田毅さんの存在なしに今回の企画は実現することができませんでした。また広報にご協力くださった長崎史談会と大田由紀さんにも感謝申し上げます。

2019年6月19日水曜日

【拡散希望】シンポジウム「近世東アジアにおけるキリシタンの受容と弾圧」(6月22日)


今週末6月22日(土)午後に早稲田大学であるシンポジウム「近世東アジアにおけるキリシタンの受容と弾圧」に参加します。

現在進行中の科研B「近世日本のキリシタンと異文化交流」(https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-17H02392/)の一環です。

充実したシンポですので、お近くの方はぜひお運びください。


2019年4月25日木曜日

【乞拡散】シンポジウム「『長崎口』の形成 -15~19 世紀の長崎から見た日本列島の国家形成と対外関係-」

来る6月29日(土)に長崎歴史文化博物館で、松方冬子さん(東京大学史料編纂所)と以下のシンポジウムを開催することになりました。予約不要かつ無料で、長崎の歴史にまつわる最新の研究成果がまとめて聞ける稀有な機会ですので、ぜひともご参加ください。



シンポジウム

『長崎口』の形成
-15~19世紀の長崎から見た日本列島の国家形成と対外関係-

公益財団法人 鹿島学術振興財団助成事業
協力 長崎市長崎学研究所

◆日 時  2019年6月29日(土) 10:30~17:30
◆会 場  長崎歴史文化博物館 1階ホール(長崎県長崎市立山1-1-1)

10:30~11:10 松方冬子(東京大学)ご挨拶

         同 「『海の道』から『口』へ―長崎を素材に―」

司会:平岡隆二(京都大学)

11:10~11:50 橋本 雄(北海道大学)「五島から寧波へ―中世の大洋路―」

―昼休憩―

13:00~13:40 織田 毅(シーボルト記念館)「長崎の通詞」

13:40~14:20 村尾 進(天理大学)「『広東体制』―『長崎口』との比較・連関―」

14:40~15:20 吉村雅美(日本女子大学)「貿易の記憶と記録―平戸から見た長崎・五島―」

15:20~16:00 海原 亮(住友史料館)「長崎に銅を送る―大坂からみた長崎―」

16:20~17:30 総合討論


◆聴講無料/予約不要

2019年4月6日土曜日

新発見!17世紀日本の天文模型(ジュネーブ天儀)

先日、クリストファー・カレンさん(Christopher CULLEN, ニーダム研究所名誉所長・ケンブリッジ大学名誉教授)との共著英語論文:

Christopher CULLEN and HIRAOKA Ryuji, “The Geneva Sphere: An Astronomical Model from 17th Century Japan”, Technology and Culture 60, no. 1 (2019): 219-251.
  1. DOI: 10.1353/tech.2019.0007


が出版されましたが、内容について多くの方に問い合わせを頂きましたので、来月出版される予定の日本語版:

平岡隆二・クリストファーカレン「ジュネーブ天儀:17 世紀日本の天文模型」、『洋学:洋学史学会研究年報』第26号、2019年、49-78頁。(forthcoming)

の要旨を以下にアップしました。この天儀の存在についてカレンさんから初めて知らされた2017年5月以降、これまで集中的に研究してきましたが、調べれば調べるほどその重要性が高まります。近世日本の科学史、キリシタン史に新たな一石を投げかける新史料の発表に、どうぞご期待下さい。


〈日本語版要旨〉
 本論文は、これまで学会に未知の新史料「ジュネーブ天儀」にまつわる調査結果の大要を示しつつ、本器をその歴史的・文化的コンテクストの中に位置づけようとするものである。この天儀は、天を模した球形の模型で、鍍金による銘や模様が施されている。本体は台座に固定された支持フレーム中の傾斜軸に据え付けられ、実際の天の運行に合うように、時計機構で回転する仕組みになっている。
 実施した調査は、天球のデザインとその目盛・銘の天文学的な意味の分析、想定される製作地と年代に関する文献調査、本器に使用された素材の成分分析、製作・装飾様式にまつわる冶金学的および顕微鏡による分析、などからなる。これまで得られたすべての証拠は、このジュネーブ天儀が作られたのは、17世紀の日本であったことを指し示すか、あるいはそう考えて矛盾ないものであり、さらには本器が、イエズス会宣教師が伝えた西洋の時計技術と東アジア天文暦学の伝統との異種交配の産物であったことをも示している。最も重要な証拠は、17世紀日本に存在した、本器とよく似た時計駆動式天文器具にまつわる同時代の明確な証言であるが、それ以外にも多くの証拠を挙げることができる。
 ジュネーブ天儀は、かつて多数存在したことが確実なこの種の器具の、唯一の現存例と思われる。近世期の日本人は、たとえ専門家でなくても、西洋の技術と混交した東洋の天文暦学という文化資本の価値をこの種の器具を通じて認識し、自己のものとすることができた。本器は東アジアの天文学と時計の歴史における第一級の発見であり、また異文化間の技術移転を伝える貴重な具体例でもあるのである。


2019年1月17日木曜日

2018年の仕事

《論文》
平岡隆二「クアトロ・ラガッツィ外伝:出会いと発見の騒動記」、長崎県美術館編『クアトロ・ラガッツィ 桃山の夢とまぼろし―杉本博司と天正少年使節が見たヨーロッパ ―』(展覧会図録)長崎県美術館、2018年、174-179頁。

Ryuji Hiraoka, "Hendrik Duurkoop's Gravestone" in Leon Bok and René ten Dam (eds.), Buried at the Other Side of the Bay: Remains of Dutch Funerary Heritage in Japan from the Era 1609-1870, [The Netherlands]: Brave New Books, 2018, pp. 67-81, 104-106.

Ryuji Hiraoka, “Jesuits, Cosmology and Creation in Japan’s “Christian Century” (1549–1650)”, in Luis Saraiva and Catherine Jami (eds.), Visual and Textual Representations in Exchanges between Europe and East Asia (Singapore: World Scientific, 2018), pp. 223-243.(分担執筆)。

平岡隆二「小林謙貞伝-長崎の史料を中心に-」、『長崎学(長崎市長崎学研究所紀要)』第2号、2018年3 月、19-33 頁。(査読無し)

《書評》
嘉数次人『天文学者たちの江戸時代-暦・宇宙観の大転換』、『科学史研究』第III期第57巻(No.286)、2018年7月、155-156頁。

《学会発表》
Ryuji Hiraoka, “Jesuits and Western Clock in Japan’s ‘Christian Century (1549-c.1650)’”, The Second International Conference on History of Mathematics and Astronomy ‘Science and Civilization in Ancient World’, Northwest University, at Xi'an, China, 2018 December 2-8 (招待発表).

Ryuji Hiraoka, “Jesuit Cosmology in 'Christian Century (1549-c.1650)' Japan”, 中国科学院自然科学史研究所学術報告, 中国科学院自然科学史研究所(北京市), 2018年8月3日。

平岡隆二「『天経或問』の写本流布と和刻本の出版」、日本科学史学会年会、於東京理科大学葛飾キャンパス、2018 年5 月23 日。

《講演》
平岡隆二「宇宙へのまなざし-古代ギリシャから江戸時代まで-」、スペシャル・ナイト“眠れなくなる宇宙のはなし”(大阪市立科学博物館主催)、於大阪市立科学館プラネタリウム、2018年3月3日。

《競争的資金》
文科省科学研究費・基盤B「近世日本数理科学史の領野横断的研究の実践」研究分担者。研究代表者・佐藤賢一(電気通信大学大学院准教授)、2018~2022 年度、1534万円。概要:関連史料群の領野横断的共同研究を実践するとともに、文献史料の校合支援システムの構築を目指すもの。

堀田仁助

 明和2年(1765)9月20日付で「堀田兵之助」が渋川図書光洪宛に提出した、天文暦術の誓約書が現存する。これは津和野藩士の堀田仁助(1745-1829、通称ははじめ兵之助、号は泉尹)のことだろう。堀田は天明3年(1783)に幕府天文方属員となり、寛政改暦にも参加し、また地理学・...