2020年9月24日木曜日

発掘調査で見つかった長崎奉行所西役所の石垣

江戸時代の日本と世界をつないだ出島や唐人屋敷は、それ単独で存在していたのではなく、この石垣の主である長崎奉行所西役所とセットで考える必要があります。

キリシタン時代にはイエズス会本部が、幕末には海軍・医学伝習所が置かれるなど、史跡の町・長崎でも、これほど重要な場所はほかにないと断言できるほどです。

個々の遺構や遺物はもちろん、「場」としての文化財的価値も、後世に向けて確実に維持されるような整備計画が進むことを、切に望みます。


長崎県庁跡地の発掘調査で見つかった石垣 専門家視察(NBC長崎放送)

https://news.yahoo.co.jp/articles/52875f45784d2b9470fccf4e003a27ab0403bb35

2020年9月22日火曜日

【告知】朝日カルチャーセンター京都講座「長崎・天草のキリシタン文化」(10月17日)

【告知】朝日カルチャーセンター京都さんの一般向け講座で、10月17日(土)に「長崎・天草のキリシタン文化」と題してお話しさせていただくことになりました。

 京都教室での対面講座だけでなく、オンライン講座も併設していますので、遠隔の方でもご参加頂けます。受講をご希望の方は以下のURLからぜひお申込みをお願いします。上がオンラインで下が対面式です。

https://www.asahiculture.jp/.../610cd3c6-9a5a-ea4f-0692...

2020年8月26日水曜日

山田慶兒『混沌の海へ:中国的思考の構造』筑摩書房、1975年

 中国の哲学はひたすら人生の目的を追求してきた。哲学者たちの思索は、ついに人間という関心領域をはずれることがなかった。自然にかんする思索といえども、人間にかんする思索の自然主義的立場からの基礎付けとして展開された。いいかえれば、哲学はなによりもまず人間学だったのである。(3頁)

2020年8月20日木曜日

『史記』天官書

 太史公曰。[中略]仰則観象於天。俯則法類於地。天則有日月。地則有陰陽。天有五星。地有五行。天則有列宿。地則有州域。三光者陰陽之精。気本在地。而聖人統理之。

2020年7月22日水曜日

西川正休「大略天學名目鈔」(『天経或問』和刻本附録)

 [01]或初學問テ曰ク、天學ヲ習得テ何ノ用有ル乎。
 答曰ク、天學ヲ習得テハ、大略天地ノ理ヲ窮ル也。聖人ノ道ハ格物ヲ以テ初トス。格物ハ何ゾ。萬物ノ理ヲ窮ル也。萬物ノ理ヲ窮ルコト、天地ノ理ヲ窮ルヨリ大ナルハ無シ。

 [02]問。然ルニ堯舜ハ天學ヲ宗トシ欽敬シ玉ヒテ、授時ヲ以テ布政ノ最初ト為ト雖ドモ、前聖ノ道ヲ大成シ玉ヒシ孔聖ハ終ニ天學ヲ説玉ハザルハ何ゾヤ。
 曰ク、孔子モ天學ヲ説玉ハザルニ非ズ。夫レ天學ニ二義アリ。命理ノ天學ト形氣ノ天學トナリ。性命五常ノ道理ヲ窮ル。是レ命理ノ天學也。日月五星ノ運行推歩測量ヲ修ル。是レ形氣ノ天學也。
 命理ト形氣ト本二ツニ非ズ。天ハ虚ニシテ大氣充塞運動シテ體質ナシト雖モ、日月ノ形象南北ニ運行シテ四時行レ、春温夏熱秋令冬寒ト四季ノ土旺ト共ニ五氣アリ。又天ニ衆星多シト雖ドモ、辰星、太白星、熒惑星、歳星、鎮星ノ五星ハ衆星ニ異リ、光映五行ノ色ヲ顯シ、運行モ亦日月ノ如ク各々ニシテ遲速同ジカラズ。是レ即チ天ノ五行也。此ノ五氣ヲ地ニ與ヘテ五物ヲ生ズ。地ハ實ニシテ土質凝聚静定シ、金木水火ノ四ツ土ニ依リ附キ、五行ヲ以テ地ノ體質ヲ成シ、天ノ五氣ヲ稟テ五物生ジ、五物生々変化シテ萬物ト成リ、一物各々命理ヲ具ス。人ハ天氣地質ノ間ニ生ジ、骨肉血毛温ノ五體、心肝腎肺脾ノ五臓ヲ以テ體質ヲ成シ、此ノ身體ノ内ニ天ノ五氣呼吸ニ随ヒ、呼ニ出テ吸ニ入リ、地ノ五物五味飲食ニ入リ、二便ニ出ヅ。又人心ハ命理ノ居所、一身ノ主宰タルニ依テ、天ノ虚ナルガ如ク、心理モ亦虚也ト雖ドモ、天ノ五氣、四時ニ依テ發顯著キカ如ク、心理ノ五常モ亦四端ニ依テ顯ル。此ノ如キノ三才一貫ヲ窮ル、是ヲ命理ノ天學ト云。
 又日月五星ノ運行ヲ推歩測量シテ、四時ヲ定メ時ヲ授ケ、或ハ世界ノ萬國ニ行舟シ、或ハ邦國山川ノ地理ヲ窮ル。是ヲ形氣ノ天學ト云。
 形氣ナケレバ命理モナク、命理ナケレバ形氣モナシ。天地形體アルガ故ニ、理ト氣ト形體ノ中ニ具リ、人間形體アルガ故ニ人氣ト心理ト形體ノ中ニ具リ、萬物形質アルガ故ニ氣味ト効能ト形質ノ中ニ在テ、理氣形ノ三ノ者ハ相離レズ、聖人ハ教ヲ以テ主トス。一人ノ命理昧ケレバ億兆ノ人ヲ殘虐シ、一人ノ命理明ナレバ億兆ノ人ヲ救恤ス。是故ニ孔子ハ専ラ命理ノ天學ヲ以テ人ヲ教ユ。孔子若シ位ヲ得テ天下ヲ治メ玉ハヾ、堯舜ノ如ク日月星辰ヲ暦象シテ時ヲ授ケ、禹王周公ノ如ク邑國山川ノ地理ヲ修メ、夏ノ時ヲ行ヒ玉ヘルコト必定也。

 [03]問。堯舜ハ形氣ノ天ヲ述ベ、孔子ハ命理ノ天ヲ述ベ玉フニ、堯以前ノ聖人モ天學ヲ述ベ玉ヘル乎。(下略)

2020年6月10日水曜日

『暦象新書』西域天學来暦


   西域天學来暦
是書は、暗厄里亜國人奇兒氏なる者の著せる天學書中の説にして、其説古來天學家の謂ふ所に異也。古來天學家は、皆天を動とし、地を靜也として、地を以て天の中心とす。然るを是書は、天を靜也とし、地を動とし、且又地球の外に、許多の世界あるの理を云。按ずるに、近世彼方に行るゝ天學、其本は亞夫利加洲の厄日多國に起りて、厄勒祭亞の總王たりし時、學士比太古刺私といへる者、彼國に渡り、在留する事七年にして、學び得て歸國せり。此時此學初て歐羅巴洲に渡れり。然れども當時亞里私鐸底兒斯杯云し大家の學者、多くは舊説を固執して、新渡の學流、古來相傳の師説に合ざるを疾ける故に、僅に數箇所の學校にして、是を講ずるのみにして、盛に行るゝこと能ざりし。
(『文明源流叢書』巻二、百一頁)

2020年5月4日月曜日

今井溱『中国物理雑識』序

   序
 譬へてみればこれは水盤の底に列んだ雨花臺の砂利みたいなものである。在るものは十年餘も喰ひ下つた問題もあるが、中には一、二日で纏め上げたものもあり、玉石混淆、玉と云つてもメナウ位に過ぎなく、はづかしい次第である。
 もし少しでも見處があるとしたら、それは清水の御蔭で、出版に當つて藪内[清]、水野[清一]兩先生初め東方文化研究所の諸先生方の御援助の賜物である。東方學術協會の叢誌として刊行されることになつたことは誠に身にあまる光榮である。
 とは云へ、筆者個人の主觀からすれば、この十數年間に書き綴つた戀文集でもある譯で、中國に對するひたむきな愛を現してゐる。筆者はこの空白な十年間、上海で此様な事に夢中になついてゐた譯で、何となく樂しく又何となく無責任な様で氣の引ける事である。
 しかし現在總べては過去の思ひ出となつて了つた。江南の四月、ウィルドの經緯儀にとまつたカササギも、測地テープでおひまはした黄蝶も、暖かつた背中の太陽の温度も、今は實は夢だつたのか、現だつたのか疑はれる。
 再びあれらの日々は歸つてくるだらうか。いまいましい現實には少しの保證も見出されない。唯だ上海で多數の歸化者を出してゐるといふ新聞記事に、何か或るチヤンスをいつした様な、或るウラヤマしさを病牀で感じ涙ぐむのみである。
 しかし、自分はこれ等の過去をのり越えなければならない。實現するかどうかは別としても、再び踏む中國への旅行準備を始めなければならない。
 終りに特別の厚意を賜つた和風書院主濱地藤太郎氏及び東方文化研究所の能田先生に深く感謝する。
  昭和二十一年一月十八日          著 者 識

(今井溱『中国物理雑識』全国書房、1946年、序)

2020年3月31日火曜日

元和航海書 bibliography

〈一次文献〉
按針之法
-「按針之法」(寛文10年、嶋谷市左衛門定重奥書)、一冊、国立公文書館内閣文庫、請求番号:183-816。

異方船乗
-「異方船乗」、一冊、横浜市立大学学術情報センター三枝文庫蔵、請求番号:G-1(彰考館文庫本からの昭和17年転写本)。

元和航海書
-「元和航海記」、一冊、京都大学附属図書館蔵、請求番号:6-07/ケ/1貴 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00013334
-「元和航海記(元和4年序)」、一冊、長崎歴史文化博物館古賀文庫、請求番号:古賀16_38
-「元和航海記」、一冊、長崎歴史文化博物館、請求番号:13_131-1
-池田好運著・三枝博音校訂「元和航海書」、三枝博音編『日本科学古典全書』復刻版、第7巻(朝日新聞社、1978年)、1-134頁。(他にも翻刻本が複数あるが、数表を省略するなどやや難がある)

算法日月考
-「算法日月考」、一冊、東北大学附属図書館林文庫、請求番号:2894。(東北大図書館DBに画像あり)

南蛮流天文
-「南蛮流天文」、一冊、宮崎県立図書館日高文書、請求番号:M08/5/39。

蛮暦
-「蛮暦」、一冊(昭和16年、彰考館文書からの転写本)、東北大学附属図書館平山文庫、請求番号:405。
-平山諦『船乗ひらうと・蛮暦』(私家謄写版、1963年)所収。

比呂宇土
-「比呂宇土」、一冊、日本学士院、請求番号:6446。

船乗ひらうと
-「船乗ひらうと」、一冊、東北大学附属図書館平山文庫、請求番号:667。(東北大図書館DBに画像あり)
-平山諦『船乗ひらうと・蛮暦』(私家謄写版、1963年)所収。


〈二次文献〉(網羅的ではない)

秋岡武次郎
-「小笠原諸島発見史の基本資料・地図について(一)」、『海事史研究』第1号、1963年、6-26頁。
-「小笠原諸島発見史の基本資料・地図について(二)」、『海事史研究』第3・4合併号、1965年、45-57頁。
-「小笠原諸島発見史の基本資料・地図について(三)」、『海事史研究』第9号、1967年、96-112頁。

安達裕之
-「快風船渉海紀事」、『海事史研究』第14号、1970年、120-128頁。

岩生成一
-「朱印船の按針手について」、『歴史地理』第83巻第2号、1952年、1-13頁。

今井溱
-「元和航海書の天文学」、『天官書』第15巻、1955年、1-21頁。
-「元和航海書の朔望」、『日本天文研究会報文』第1巻第2号、1955年、39-46頁。
-「元和航海書の古伝の図に就て」、『天官書』第19巻、1956年、145-151頁。
-「続元和航海書の朔望」、『天官書』第19巻、1956年、152-170頁。
-「南蛮地度考」、『天官書』第21巻、1956年、1-15頁。
-「元和航海書の宿曜算法・其他」、『天官書』第22巻、1957年、1-12頁。
-「元和航海書雑記」、『天官書』第23巻、1957年、19-23頁。
-「島谷見立の航海術」、『蘭学資料研究会・研究報告』第104号、1962年、57-67頁(頁数は1986年龍渓書舎刊の復刻版による)。
-『南蛮紅毛太陽赤緯表攷』(ウニコヲル社[[私家版]、1966年)、立教大学新座保存書庫海老沢文庫。

内山守常
-「元和航海書のデキリナサンについて」、『横浜大学論叢』第6巻第1号、1954年、681-714頁。
-「元和航海書の朔日表について」、『横浜大学論叢』第7巻(自然科学系列)、1956年、73-92頁。

海野一隆
-「わが国におけるポルトラーノ海図の受容」、『東西地図文化交渉史研究』(清文堂、2003年)、211-270頁。
-「「日本カルタ」の出現と停滞」、『東西地図文化交渉史研究』(清文堂、2003年)、271-304頁。

古賀十二郎
-『長崎洋学史』上巻(長崎文献社、1966年)、220-232頁(「天文5.池田与右衛門入道好運の元和航海記」)。

渋谷清見
-「元和航海書の極星緯度法について」、『航海』第18号、1963年、57-61頁。
-「元和航海書序文の三ツの質問について-その航海天文学的所見-」、『海事史研究』第8号、1967年、39-54頁。

中村拓
-『御朱印船航海図』(日本学術振興会、1965年)。

山田義裕
-「元和航海書と南蛮の距離-グラウとレグア-」、『海事史研究』第60巻、2003年、23-33頁。
-「『元和航海書』の太陽赤緯表の原典」、『海事史研究』第63巻、2006年、113-131頁。

〈参考〉 ※要増補
東洋南洋航海古図
-「東洋南洋航海古図」、盧高朗写、一枚、長崎歴史文化博物館蔵、請求番号:3_62-1

2020年3月20日金曜日

#新入生に勧めたい10冊 #東アジア天文学史

1.薮内清『定本 中国の天文暦法』(『薮内清著作集』第1巻)臨川書店、2017年(初版、1969年)。
永遠のマスターピース

2.Nakayama, Shigeru. A History of Japanese Astronomy: Chinese Background and Western Impact. Cambridge [MA]: Harvard University Press, 1969.
初の日本天文学通史

3.山田慶兒『朱子の自然学』岩波書店、1978年。
東アジア自然哲学史の先駆

4.渡辺敏夫『近世日本天文学史』上下巻(上巻:通史、下巻:観測技術史)恒星社厚生閣、1986-87年。
江戸で困ったらまずはこれ

5.矢野道雄『密教占星術―宿曜道とインド占星術』増補改訂版、東洋書院、2013年(初版、1986年)
高いスカラーシップの東西占星術交流史

6.Hashimoto, Keizo. Hsu Kuang-chi's and Astronomical Reform: The Process of the Chinese Acceptance of Western Astronomy 1629-1635. Osaka: Kansai University Press, 1988.
中西天文学交流史の白眉

7.川原秀城『中国の科学思想:両漢天学考』創文社、1996年。
中国科学思想史ならまずはこれ

8.岡田正彦『忘れられた仏教天文学:十九世紀の日本における仏教世界像』ブイツーソリューション、2010年。
江戸の科学言説史を切り拓く労作

9.林淳『渋川春海:失われた暦を求めて』山川出版社、2018年。
近世日本天文学のスターの実像

10.武田時昌『術数学の思考―交叉する科学と占術』 臨川書店、2018年。
術数学を構造的に把握する

2020年3月15日日曜日

長崎町年寄・薬師寺家の砲術(鍛錬流・自覚流)

以下、メモ

先行研究:
越中哲也「薬師寺家と阿蘭陀流砲術」『長崎談叢』第50輯、1971年、91-112頁。

史料:
渡辺16_19 鍛錬流自覚流誓紙之衆中(万治3年)
渡辺16_28 御預御石火矢御鉄砲并炮術由緒書 薬師寺
渡辺16_35 自覚流鳥銃家伝自序 1676年 薬師寺宇右衛門種永

薬師寺390-2 起請文前書之事(慶安元年9月28日生田五左衛門尉より薬師寺宇右衛門宛)
ほか多数

軍事5 スペックス大砲証文(御物石火矢代請取証)
軍事9 薬師寺家鉄砲方鑑札

2020年2月24日月曜日

西村太沖「麻田剛立先生行状記」成立年未詳(寛政11・1799年以後成立)2

「夫天文家ニ数家アリト雖モ、其ノ要領トスル処、今コレヲ分ツテ二家トス。一ツニハ命理、二ツニハ形気ナリ」
「麻田家ノ天学ハ形気ノ天文一法ニシテ、命理至妙ノ事ハ儒門ニアツケ、『天経或問』等ノ義モ強テ論セス、タヽ推歩実測ニ鍛錬シテ其実験ヲ謂テ、憶説ヲ語ラス、器物ヲ製シテ天ヲ窺ヒ、太陽ノ表ニ黒子ノ旋転アルコトヲ知リ」
「形気ノ天学ハ、往古将来ヲ推歩シ、七曜二十八宿恒星等ノ度分ヲ測リ暦数ニ詳ク、而露霜雪ノ然ル所ヲ忽ニスルモノ也」。
「(麻田家の)其法モトヨリ授時・貞享ノ二暦ニヨラス、専ラ西洋新法ヲ主トシテ近来渡リシ崇禎暦・暦象考成ノ法ニ本ツキ」

西村遠里『天学指要』安永5年(1776)序、安永7年刊


夫天学ニ四派アリ、一者天ノ二十八宿ノ州(クニ)々ニ配当シ、某ノ星宿ハ某ノ州ヲ主トリ、某ノ州ノ宿ニ属ストシテ、此ヲ分野ト名付、客星妖星等出現シ、或ハ天變アルノ時ハ分野ヲ見テ、其主属ノ州々或ハ凶或ハ吉トコレヲ占フナリ、コレ和漢トモ衆人ノ天文学ト覚ヰル處ニシテ、軍書ナトニ多出テ、漢土ニシテハ梓愼□竃カ輩、和邦ニシテハ安部晴明等ノ名アリシ處ナリ、コレヲ占候ノ天学ト云、一者天體地體及七曜風雨霜雪霧露雲霞雷電地震等ノ然ル所以ヲ会得ス、天経或問物理小識等ニ義論スル處ノ如シ、游子六掲子宜等ノ名アル處ナリ、コレヲ理学ノ天学ト云、一者日晷ヲ測量シ、気候ヲ定メ、太陽ノ盈縮太陰ノ遲疾ヲ推歩シ、朔望ノ刻ヲ測リ、大小閏月ヲ置、交蝕ノ浅深ヲ察シ、五星ノ出没ヲ測量スル等ノ諸術ニ精ク、暦ヲ推歩シ時ヲ授ク、郭守敬春海等ノ名アル處ナリ、コレヲ暦象家ト云、西川如見所謂、形氣ノ天学ナルモノナリ、蓋シ理学ノ天学ト形氣ノ天学ト同シケレトモ些ニ異同アリ、理学ノ天学ハ天経或問等ノ如ク、推歩測量ノ暦算ニ粗略ニシテ、然ル所以ノ理ニ精シ、形氣ノ天学ハ暦数ニ精ク、雨露霜雪ノ然ル所以ノ理ヲ忽セニス 、一者以性命道徳ノ理ヲ尋ネ、数ノ玄々ヲ探リ、陰陽ノ理ニ通ジ、近ハコレヲ身ニトリ人道ヲ失ハザル、コレヲ命理ノ天学ト云。

矢野道雄『増補改訂 密教占星術:宿曜道とインド占星術』東洋書院、2013年

(序文より)
本書は…古代文化の一要素としての占星術が、ある文明から他の文明へと、ある時は変貌し、ある時は古い姿を保持しながら伝播していった様子を歴史的に眺め、占星術が文化交渉史の中で果たした役割の大きさを具体的にしめそうとしたものである。
…占星術は現代でこそ「疑似科学」と呼ばれ、正統な学問の対象とはみなされていないが、近代科学が興るまでは天文学と表裏一体の関係にあった。天文学が天象の規則性を数理的に追究していったのに対し、占星術は天象と人間の関係を求め、未来を知りたいという人間の願望に応えようとしていた。占星術は天の学を人間の学へと近付ける試みであり、それだけに、数理天文学よりもはるかに広い層によって支持されてきた。

2020年2月18日火曜日

洞仙先生[三浦梅園]口授(成立年不明)

我、十歳にみたざりし内より大に疑団を蓄へき。其疑団と云ふは、我、此如(かくのごとく)生れ来るにどふ云ふ処より来る〔も〕、どふ云ふ処にゆくとも、生れ〔る〕さきの前への前へも手とゞかず、死して後の後も手とゞかず、天のはてをどこをかぎり、地のそこをどこをかぎり、かぎりをおけば其外(そと)出来、一向つまらぬよふになり、さてこふ思ふ心もどふして出来たとも、どふして消ゆるとも、雲がどふして出来るとも、目がなに故見ゆるやら、耳がなに故きこゆるやら、思へば思ふ程がてんゆかずなり。子共(こども)心に心ぼそくなりていこふ心苦しかりき。
人のくせに、雷の鳴り地震(ナイ)のふるにあへば不思議なりといへども、我心には鳴もふしぎ、其鳴らざるのもきこへず、地のうごくも不思議、地のうごかざるもきこへず。たとへば「火はなに故にあつきぞ、水はなに故つめたきぞ」といへば、人は、「火、陽なるによりてあつし、水、陰なるによりてつめたし」と云。我心にはなに故に陽なる者はあつきぞ、陰なる者はつめたきぞと思へば、其陰陽と云者もきこへずなり。たとへば扇子を手に持ちて手をはなてば下にをつるを、「なに故に下におつるぞ、うへと東西南北とには何故にをちぬぞ」と人にとへば、「脇にはゆかぬ筈、下にはをつる筈じや」と云。そこで我が思ふには、筈と云にかくれば、動く者はをつる筈、目は見る筈、耳は聞ゆる筈、雷は鳴る筈、地震はうごく筈と、筈を掛(かけ)てこしらゆれば悉皆聞こゑぬ事もなし。されども其筈と云者が気にかゝり、ねれば何故ねいるといふ筈あるぞと、此筈に屈たくしうつら〳〵と年を累(かさ)ねぬ。
それより程なふ書物など読ならい、色々考へて見ても、故人の学問も皆筈からうへのせんぎにて、筈はづしたる説も見ず。半上落下の境界にて三十迄打すぎたり。三十の年、始て天地は気なりと心つきたり。それより天地に条理と云者有事を見付たり。気と云事も故人もいゝ、条理と云事故人も云たれば、珍敷事にもあらぬよふなれども、大に其境異なりて、我心には先達一人も此境には見て到る人はいまだあらずと思ふは、我固鄙にも有にや。(下略)
尾形純男・島田虔次編注訳『三浦梅園自然哲学論集』岩波書店、1998年、309-310頁。

2020年1月22日水曜日

「渾天儀」の刊行によせて(岡田芳朗)

江戸時代には天文暦法に関する書籍が数多く出版されており、今日各地に伝存する数もかなり多いのですが、これは主として武士の間で天文や暦法が、教養として重んじられた為であります。教養としての天文暦法は、必ずしも純粋に自然科学的な知識や、観測の技術を修得する為のものではなく、むしろそれによって、儒教的道徳が天地の理に適った、崇高なものである事を学ぶ為のものであったのです。
天地の原理を論じて人倫の道を説くと言った筆法は、東洋においてばかりではなく、西洋においても、近代的天文学が成立するまで見られた傾向でありますが、その為に洋の東西を問わず、天文学が重要視されて広く学ばれたのです。東洋では太陰太陽暦を近年まで使用しておりましたが、その複雑な暦法、正確な天文常数を求めて、特に暦法に対する関心が強かったのです。(北川宗俊著、山口泰欽写本、木村東市解読・解説『渾天儀:享保年間南部藩最古の天文学書』私家版、1989年、岡田芳朗序文より)

麻田剛立先生行状記(石川県立図書館)1

先君子[麻田剛立]幼名庄吉、後璋庵ト云フ、則其号ナリ。生レテ三才ノトキ其父有終先生ニ抱レテ後園ニ遊ヒケルトキ、折節月夜ナリシカハ、月ヲミセテ其高キコトヲ語リシニ、先君子問曰ク、月ヨリ高キモノアリヤ、ト。先生曰、日ナリ、ト。又問、日ヨリ高キ者アリヤ、ト。曰、星ナリ。又問フ、星ヨリ高モノアリヤ、ト。其トキ先生笑テ、其上ハ我モシラス、ト答ヘシカハ、先君子曰、父不知ヤ、我ハ長テ後知之、ト云ヘリ。其後生長スルニ付テ天文ノ志アリ。其トキ有終先生家人ニ語リテ、カツテ此児生長ノ後ハ、天文者ニナルヘシト云シカ、今マハタシテ然リ、ト云テ悦ヘリ。

堀田仁助

 明和2年(1765)9月20日付で「堀田兵之助」が渋川図書光洪宛に提出した、天文暦術の誓約書が現存する。これは津和野藩士の堀田仁助(1745-1829、通称ははじめ兵之助、号は泉尹)のことだろう。堀田は天明3年(1783)に幕府天文方属員となり、寛政改暦にも参加し、また地理学・...